『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

秋の陽は…

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しばらく記事が書けませんでした。母の定例の受診のあと、体調不良になったりしていたんだけど、そのあと、肩をいためてから見ないふりしてほとんどほったらかしだった、家の回りを少しずつ片付け続け、ようやく一段落した感じです。

肩や腕の怪我の不調が落ち着いた今、ちょうど地域の粗大ゴミの収集があったのでそれにあわせてのことだったんですが、お天気があまり良くなかった上に、とにかく陽が短くなってきてるから、あいた時間に外で出来ることはこれからもっと少なくなっていきますよね。だったら、今のうちに何とかしないとってね。

その上に、このところの寒さで出したファンヒーターの暖かさよ。夜は体が疲れてる分、眠い眠い…。

後は家の中の、年末に向けての片付けをおいおいしていくつもりです。こっちは急がなくていい(^o^)

あ〜。すっきりした。今度は、陽が落ちないうちに新しく買った七輪で魚でも焼いてみようかな。

人は去り、人は来る

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tukeruhododemonaiakinofuukei



 亡くなった父の古いお友達の奥様から、お手紙をいただきました。父が亡くなって10年10年以上がたち、「学生時代のお父さんはこんだだったんだよ」なんてメールを下さっていたご主人も亡くなってからは、内容は省きますが、奥様から頼まれごとをするようになったからです。

 お手紙を頂くので、こちらもお手紙をお返しすることになります。それも毎回違うきれいな切手でいただくので、最近いくつか買った便せんと封筒からこれかな~と思うのを選び、さらに、いつもあるのとは違う切手を選び、言葉を選びながら文を書く。

 電子機器になれてしまっている身には、いささかややこしいし、面倒くさい気もするんだけど、やってみると、とても穏やかでちょっとときめくような楽しさを感じたりもして…。手紙を書くって、いいですよ。改めて思ったな。

 
 その手紙を出しいに行ったついでに(電子機器だと、この「出しに行って」がないですよね)、ちょっと回り道をして帰ろうと思い立ちました。この頃体調が悪くて全然歩いていないどころか、一昨年に肩を痛めてからは、あまり遠くまで歩かないなかったので、ちょっと試運転って感じです。

 とんでもなく久しぶりに遠回りしてみて驚いたのは、いつも遠回りしていたところの沿道にあった結構広い古いお宅が、更地になっていて、その空間にすすきが生い茂っていたことです。

 誰もいらっしゃらないだろうことは通り過ぎる時に何となく感じていました。でも、道沿いに塀があったのでその中の様子まではしらなかったんですよね。がら~んとした空間。風になびくすすきの姿はなんか淋しかったなぁ。上のがそこで「の写真です。家屋がなくなっていたので、それまでは見えなかった遠い山が見えるようにになっていました。周りの家をよけて、下からお尾るようにしてアップで撮るとこんな感じに(道沿いで何をやってんÐか…)。

 人はいつか去る。でもまた、人は来る。そう思いたい夕方でした。

 

やさしい風景

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 母の通院につき添っていった日から不調で、数日あまり動けずにいました。少し良くなって、居間のソファにゴロゴロしながらYoutubeを見ていたときのことです。

 特に何を見たいということもなかったので自動再生していたら、どういうわけか近畿地方の限界集落の風景をただ淡々と流す番組と出逢ったんです。で、それが続くの。

多分それまで見ていたものの傾向などに関連したものが流れてくるんだと思うんだけど、特に限界集落マニアでもないし、そういうのを見たこともないんだけどなぁなんて思って見ていたんです。ところが、見始めたら何だか思うことが多々あって…。


 そもそも限界集落っていうのは、山深いところが多いのでしょうかね。私の見たのでは、人の姿が見えなくなった家々ばかりじゃなく、あまり手が入らないままの美しい山々や川の風景がたくさん出てきてました。その風景の美しいこと!


 家もね。番組をつくられている方の方針でそういう家屋を中心に撮ってらっしゃったのかもしれないけど、廃墟のようになっている家はあまりなくて、古いのは古いんだけど、しっかりしてそうな立派な家屋が多くて、少し修理をすれば十分快適に住めそうだなぁと思えたんですね。

もったいないなぁ。こんなきれいな風景のところに、まだ住めそうないい家。それを捨てて出て行かれたんだなんて思ってしまったんだけど、雪が多くて、仕事に行きにくかったり、急病でも救急車がなかなか来なかったり、近いところにお買い物ができるところがなくなってしまったりなどと、不便なことはたくさんあったんでしょうね。一人になった高齢の親御さんを子供さんが呼びよせられた…なんてこともあったかもしれない。

田舎とはいえ、駅もバス停も徒歩5分以内に住み、本当の暗闇なんて知らない私には、想像もできないような大変なこと、きっとまだままだありますよね。


 畑や空き家になった家々、廃校になった学校の跡、閉められたお店の跡など見ていると、そこに人々がいて、にぎやかに動いていらした風景が見える気がしました。多分、食料品店などの店内には、「昭和な歌」が流れていて、あーだこーだ話の花が咲いていたんだろうな。そう思うと、ちょっと切なくなってね。


 そんなことを思ううちに、思わぬことに気が付きました。それは、家の周りをきれいに片付け、雨戸をしめて出て行かれたんだなとわかるいくつもの家々の敷地や、そのお宅に至る道の草が、きれいに刈りとられていることです。

 いつか、これもYoutubeで偶然流れてきた、海の向こうの国の、首都のビル群が目の前にあり、そして、住んでらっしゃる方もそれなりにはありそうなのに(現在使われているような車がところどころにあるのでそう思った)、かなりあるらしい空き家の庭どころか、道の両側にまで腰から背丈くらいの草が生い茂っていたのと比べると、まるで別天地です(あっ! あれを見たからこの限界集落が出てきたの?)。

 これは、外に移っていかれた住人さん(あるいは、頼まれた方か)が、ご近所に迷惑をかけないように時々来て草刈りをしてらっしゃるか、近所の方が自発的に刈ってあげられているということでしょう。何か、感動…。

 そんなお宅の軒先に、こんな言葉を彫った丸太の椅子↑が(「どうど」がまたいい(^-^))。


ただ川のせせらぎと蝉の声だけが聞こえる、集落でのことでした。

 

年の功ってやつか…

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暦通りに秋らしくなった9月。あと10日あまりで、また仏事の行事(彼岸の中日)。そう思うと、ちょっとため息が…。

実は、苦手な親族がいるんです。やたらマウントをとりたがり、どんな話をしても、強引に自分の都合のいい話にもっていく技を持っているんですね。さらに、人の話はちゃんとき・い・て・い・な・い…から、伝えないといけない話を間違って覚えてるときたもんだ。いや、たちが悪い。

けして話を理解できない人ではないと思うんだけど、わたしには、相手を自分の思うように操りたい意識が強くてそうなっているように見えるんですよね。または、「自分の考えこそが正しい。間違ってる相手を正してやらねば」って想いが強いのかしら。

だから、こちらは何の話をしていたのかさえわからなくなってくるし、とても疲れるんです。


この前のお盆は特にそうで、こちらが話しておきたい話と、あちらが返してくる言葉がずれてる…どころかまったく噛み合わず、まるで、「相手の言った言葉を理解したら罰ゲーム」なゲームでもしているような気分になったんですね。

そういう人、まわりにいませんか?



お盆の後、「そんな風だったよね」と母に話すと、「あら。元々そうだったじゃない。あんた、これまでまともに全部話を聞いてたの?」

えっ? …ってことは、ずっとまともに聞いてなかったの?…です。

「だって、どんなに丁寧に説明しても、結局話が違うんだもん。あっちの話を、ああそう、へーですますしかないじゃないの。抵抗すれば倍返しでくるし、こっちがもたないわ」

でも、こちらから話しておかないといけないような話は…。

「他の人が一緒に聞いてくれてれば、何とかなるわよ。実際そうなってきたんだから…」と、母。



知らなかった…。相手が相手なら、こっち(母)もこっちで、「(言わなきゃいけないことは)言うだけ言ったら、あとはし〜らない!」と思ってたんだ…。で、そのあとは、「あー。あー。聞こえない、聞こえない🙉」と思いながら、「へ〜。そうなの〜?。すごいわね〜」と相づち打っていたなんて…。その人と言われ放題に見えていた母は、がっぷり四つに組んでたんだ(何で相撲?)。


「どんなに相手がおかしくても、あんたが必死になって話して伝わる相手じゃない。大体そのまま話を聞く気なんてないんだから無理」

……………。



なるほどね……。







画像は、「デュランタ宝塚」というのの鉢植え。しばらく花がつかなかったんだけど、秋になって、やっと花がつきました。

慣れるってスゴい〜ある浴室の風景〜

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古いありがちな戸建なので、我が家の浴室には窓がある。その窓に、この時期必ず現れるヤツがいる。ヤモリ…だか、イモリという、あれ。


とにかく苦手なので、ヤモリかイモリかを調べるどころか、なるべく見ないようにするか、(夜しかいないのかもしれないけど)この時期には一切窓を開けない…なんてことにもなる。

そして、今年もヤツは来ている。今年のは例年来るのよりちょっと小さいから、まだ子供なのかもしれない。浴室に灯りがともるより早く待ち構えていることもあるし、灯りがつくやいなやぴょんとやって来ることもある(これが昼間も窓を開けられない理由)。

やたらに元気で動きは素早く、勢いよく「おしりっぽ」を振りまくっているときもある(影の声:やたらちゃんと見てるじゃないか)。

とにかくあのフォルムからなにから何もかもが❌なので、「やだよ〜。どっか行ってよ〜」とつぶやくことになる。

それでも、毎日がそんな風だとヤツがいるのが当たり前になってきて、「ご飯食べないと生きてけないもんね」と思えたりするようにもなってくる。けして好きにはなれないけどね。

そのヤツが、2日ほど姿を見せない。本来なら、「あ〜、良かった。もう来ないで!」と思うはずなのに、どういうわけか、「どうしたんだろ。何かあったのかな」なんて思ってる。慣れというのは、恐ろしい。




※さすがにヤツの画像は使いたくないので、ほしいな〜と思ってる茶トラくんの置物の画像を(^o^)v



それ、飲む⁉️

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hasunohana




 我が家の裏庭とお隣の家の間には、コンクリートの塀があります。境界線代わりなので、ごく低いもので、そこを小さな子猫が歩いていくのを、裏庭が見渡せる台所の窓から最近よく見るようになりました。

 このあたりは別の呼び方をするんですが、世間的には「キジトラ」というんですかね。グレーと黒(?)の縞模様の子で、当然まだ幼い顔をしています。

多くの場所でもそうなんでしょうが、飼い猫ちゃんは家から出されないお宅ばかりなので、多分野良ネコだと思います。

Youtubeで、野良君や野良君から家猫になった子の動画をよく見ているからか、親近感を感じて、見かけると「今日もお散歩?」とか声をかけてしまうんだけど、少し近づいても逃げたりはせず、まん丸の目でこちらを見上げてしばらくそこにいたりする、けっこう肝のすわった(?)やつだったりします。

お盆のあと、何だかやたらあわただしかった「煩雑な日々」がすこしずつ落ちついてきていたある日。思わぬことが起こりました。それは外で暮らす猫ちゃんとしては当たり前の行動ではあるんだろうけど、お隣との、上で書いたコンクリートの塀の上を歩いていた彼が、突然その境界線のコンクリート前に置いている瓶の前にぴょんと降り立ち、立ち上がって…というか瓶の縁につかまって、たまった水をピチャピチャと飲み始めたんですね。

思わず、「あっ!」と大きな声を上げました。彼は、ちらりとこちらを向いたのですが、すぐに瓶のほうに剥きなおして再びピチャピチャやったあと、もう一度ちらりとこちらを見てからひらりと塀に飛び乗り、悠々と去っていったんですね。

 わたしが大きな声を上げたのには理由がありました。その瓶にはハスが植えてあり、きれいな花を咲かせてもらうために、時折(思いだしたように)固形の油粕をあたえていたんです。裏庭には混じりっけのない水の飲めるつくばいがあるというのに、その油粕入りの瓶の水を飲むんだものな~。

 雨続きの日々で薄まってはいたでしょうが、8月の初めに2、3粒やったとこだったんですよね。

母は「化学肥料じゃなく、天然ものだから体には大丈夫よ」と言うんですが、体にいいか悪いかじゃないってば…。

 外で暮らす野良君だから、家ネコ君たちなら口にしないような物をいろいろ飲んだり食べたりしてるんでしょうが、油粕なぁ…。実はもう一回油粕を与えてやろうと思っていたんだけど、どうするかなぁ。