『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

まっすぐな風景

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okarishitafuukei



 
  前に、テレビや新聞など、「目にするものは、すべがてガセネタだ」というような内容のブログを見せていただいたことがありました。その時は、あまりに極端だと思ったんだけれど、学校で教えられたこの国の歴史というのでさえもそういうことがあると気がついてしまったら、まんざら外れてはいないかもと思うようになりました。そして、それを上塗りしてくれるようなことが次々と起こっているこの頃に、うんざりしてしまいます。

 テレビにも新聞にも、誰かへの批判ばかりが広がり、自分にとって都合の悪い「本当のこと」は書かないし、伝えない。だれもこの国を良くしたいと思っていないんじゃないか。そんな気さえします。そこへの愛があれば、「こうすればいいのに」の一言ぐらい出る気がするんだけどなぁ。

 福沢諭吉さんは、こう言っているそうです。


     自由とは
     他人の妨げをなさずして
     我が心のままに
     ことを行うの義なり

 
 なるほどな~と腑に落ちました。コロナウイルスのことにしても、何だか「他人の妨げ」ばかりが見えている。右でも左でもいい。もっと、(ここでかかれている)「自由」にホントのことぶつけあって語りませんか?と言いたくなる感じです。今のこれは何?


 そんなことを思っていたとき、こんな歌を見ました。


     五月雨の
     晴れ間に出でて 眺むれば
     青田涼しく 
     風わたるなり


 良寛さんの歌です。この頃の五月は今の六月だと思うので、もう少し経ってからの風景なんでしょうね。雨あがりの…青田に出てみた。涼しくて快い風が吹いてる。

 目を閉じれば、その風がほほに触れた気がしました。それは、まっすぐな心で見つめられる風景です。ちょっと救われた気がしました。



 
     
   

 

これは、それ?~変な音がした~

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toorisugarinohana




 それは一昨日の夜のこと。夕食を食べ、母と何だかんだ話しながら、流し台に食器を移動していた時、その音が聞こえたんです。玄関のサッシの引き戸が呼び鈴(チャイムだけど)も鳴らされずに、勢いよく開けられた音が。

 そのあと、タッタッタッと7~8メートルほどの廊下を走る軽い足音がして、廊下の端の方で、廊下の傍らのガラス戸にド~ンとぶち当たる音が。

 私は、誰かがやってきて、挨拶もしないで勝手に上がりこんできたんだと思いました。それも、夜ですからね。多分普通の相手ではない。それも、もう「敵」は家の中。反撃できるものを持つ余裕もないままに、とにかく覚悟を決めて音のした廊下に出ました。

 誰もいない! それどころか、玄関戸は開いてない。…というか、錠を閉めてあるのを思い出しました。つまり、誰が開けようとしたとしても、ガラガラガラ~っとは開かないはず。

 でも、しっかりとその音は聞いています。間違いなく、玄関戸が開く音がしたんです。それも、勢いよく開く音が。で、軽い駆け足のような音のあと、大きな音ではなかったけど、間違いなくガラス戸にぶつかる音もした(大事なことなので、二度言いました)。

 …ってことは? 人間ではない誰か?(@@;)

 本気で鳥肌が立ちました。「たぶん空耳だわよ」とかいう母を傍らに(二人揃って同じ空耳?)、しばらく廊下で茫然と立ち尽くしたあと、何を祈るわけでもないのに、あわてて仏壇にお線香を。そのあとすぐ神棚へ(何という見事なまでの、困った時の神仏頼み…)。

 そして、各々の部屋に変わったことが起こってないことを確認して、音の正体を見つけるために、同じような経験をした人や、そういう人が質問しているものがないかとググってみました。

 いくつか読んでみると、「霊は、どんなとこでも通ることがあるから、一度くらいなら気にすることはない」とか、大体が霊と決めてるし…ーー;。

 そんななかに、「座敷童かも」というのがありました。座敷童のいたずらで、玄関戸を開ける音を聞いたという人はそう珍しくはないと書かれていました。そういえば、大人はあんな開け方をしないかもしれない。で、かる~いタッタッタで、ドスンだものなぁ。まっ、ほんとにそうならまた何かがあるか。恐る恐るではあるけれど、様子をみるしかないですよね。

 昨日今日は変わったことはありません。座敷童を見ると幸せになる…とか、座敷童がいる家は栄えるとかいうそうだけど、大体ほんとにいるのかなぁ、座敷童って。…って、音は聞いたしなぁ…。このことがそれだとは限らないけど。

 そうだとして、「その子」が我が家に居着いてくれた(すでに?)としても、夜中出会ったらビビるかも〜と、いろんな想いが交差します。

 

 

 

静寂(しじま)の音

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toorisugarinoakitinohana




 気のせいでしょうか。あの自粛のお願いの頃から、「夜中の音」が、変わったような…。

 こちらは田舎ですが、普通なら真夜中もそれなりに車は通ります。あたりの家々も、年齢の高いご夫婦だけとか、お一人だけというお宅は別として、日が変わっても起きてらっしゃる灯りは結構見えるとこです。でも、真夜中の1~2時の音がこれまでとは違うと感じるんですね。

 前にブログに書いたことがあるんだけど、(今は違うかもしれないけど)紅葉のシーズンオフ(?)に入りかけた頃の京都の大原の旅館に母と泊まった時に感じた、アニメというか、漫画というかで「シーン」と書かれるような静寂の音を感じたんですね(郊外でもあり、その時旅館に泊まってらっしゃる方もあまりいなかったと思います。二階だったかな。周りの部屋も空いていました)。

 その時に、「ほんとにシーンって音があるんだ」と思ったんだけど、この頃、うちにいてそんな音を感じるんです。 当然、ほとんど車の通りはありません。でも、それだけじゃないような…。何だか不思議だぁと思うこの頃です。

 

今だから…のお見送り

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otadakimononohana




友達のお母様が亡くなりました。家はわりと近いんだけど、その友達があまりこちらに帰って来ないので、こちらのご家族の暮らしぶりなどを聞くこともほとんどなく、実は昨年から闘病されていたということを全く知りませんでした…。

 母は若いころお母様の方と交流があり、告別式にお邪魔したほうがいいのかしら…なんて言っていたんだけど、聞くところでは、「最初は普通に告別式をするつもりだったが、葬儀社から、今の状況では家族葬でお願いしたいという話があった」ということだそうで、そのお宅では、葬儀社とは違う場所での香典受付でお香典だけを(それぞれの方が距離を置いて)お渡しする…というやり方をされていました。

 新型ウイルスの騒動が始まったころから、新聞のお悔やみ欄で、「家族葬で執り行いました」とか、「執り行います」という表示が増え出し、今ではほとんどがその形でされているようですね。

ただ、こういう時でなくても、こちらに家族が誰もいなくなってしまうので、香典をいただかず家族葬で…というの形のも増えつつはありました。時の流れですね。

 私自身はそういう家族葬に抵抗はないんだけれど、特に年配の方の中にはこだわられる方があるみたい。ご家族の方でも、やはりちゃんとみなさん参列の上で執り行いたかったというお宅もあるかもしれませんが、家族葬の形だからこそできる、それこそ、密なお別れの仕方があるんじゃないかなぁと思ったりします。

 

今日を思い出す

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kyonenkattaminibara




 え~。本に埋まっております(つまり掃除中。今だ終わらず。もう明日にしよう)。で、「あっ、そうそう」と思ったこと。


 人の想いは現実化する。…とか言われますよね。今の自分の状況は、これまでに考えてきたことのあらわれ。だから、これから良い現実を目の当たりにしたなら、良いことを考えましょうって…。そう言われても、それはなかなか難しい…と思いますよねぇ。現実的じゃないわって…。

 ただ、人間は思考の産物だとは思う。例えば考えかたが後ろ向きだと、後ろ向きな出来事を拾ってしまう。そういうことはあると思う。良いことを考えていられたらそういう風な出来事を拾えるというのなら、やってみるのもいい。そう思いませんか? ただ、どうやったら、良い思考に持っていけるのか‥。


 単純に思ったのは、「いいことありました日記」をつけること。前に、そういうがいいらしいということを書いたのは、このブログだったかなぁ。結局それだなぁと思ったんです。わざわざ日記を手に入れなくても、手帳や家計簿なんかの、毎日つけるものの今日のコーナーに、今日いちばんうれしかったことや幸せだったことや、良かった~って思えたことを毎日つける癖をつけてみる。一日二日は忘れたっていいから。

 つけることが目的じゃないんです。そうしていると、今日は「(いいこと)何があったっけ?」って、今日のいいことを探すようになる。実は、どんな小さなことでもいい。コーヒー美味しかったなでもいい。とにかく良かったことを書く。つまり、今日のいいことを探す時間ができるんですね。今日の嫌なことに振り回されていた頭が…。

 できれば、一日の終わりにつける。そうすることで、いいことで一日を終われる。あとのことは、寝ている間に本人の志向に合わせて頭を整理してくれるという海馬さんにお願いしましょ。それがいい結果が出るかどうか。そんなことは知ったこっちゃない。というか、考えていたって、前には進めないんだから。

 最初から決めつけずにやってみる。半月も続けると、ちょっと気分が変わってくる…かも。実はこれ、実感です。

 

着信はそれぞれですね

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hantoshikinen




掃除でバタバタしたり、ちょっと喉が変だと自っとしたりしている間に、知り合いの方から頂き物をしました。お礼の品を…ということになったんだけど、この時期なので通信販売でお菓子をあちらに直送してもらおうということに。

 昨日その注文の後、お店の方から受付のメールが届いているかしらとメールの着信を見たら、↑の画像のついたメールが届いていました。それには、こんなことが書いてあったんです。



 『光と風の間(はざま)で』総本家 を開設して半年が経ちました。
 


 「さらに楽しいブログライフが送れるように、サポートしますからね」…みたいな言葉が添えられています。ヤフーブログで長くブログをやってきたけど、こういうのをもらったことはなかった気がします。

 そうかぁ、あれから半年かぁと思ったり、何だかんだで思ったように記事をアップしてこなかったなぁと反省したりしたけれど、何だかちょっとほっこりしたんですよね。こういうメールを送るようにしてくれている、その気持ちだけでもうれしい。

 「わけわかんない! なんでそんなふうになるの?」ってことも書くかもしれないけど、これからたくさん、ほっこりしたりもできるやさしい記事が書きたいなぁ。


 ところで、それとは全然違う話なんだけど、先ほど見慣れぬ番号からわが家の固定電話の方に着信があったんです。

 知らない電話には出ないということにしていて(本当に用事があればまたかけてこられるだろうし)、いつもはそこまでしないでほっとくんだけど、今回ふっと気が向いて、番号の主が迷惑電話に登録されているんじゃないかと調べてみたら、読めない文字(これも漢字というのかしら)の羅列のあとに、〇〇自治区という住所が出てくるじゃないですか!!

 いやいやいやいや。やっぱり知らない番号の着信には出ないのが正解だ…と改めて思った出来事でした。あれこれある今の時期です。気をつけましょうね。
 

4月12日〜パンの日によせて〜

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pannohi



 一週間ほど遅くなりましたけど、4月12日は、(日本では)『パンの日』だったそうです。さて、何故この日が『パンの日』となったのか―。

 古代メソポタミアで、ただ小麦粉を水でこねて焼いただけのパンから始まって、そのあと、古代エジプトへ、そして世界へと広がっていったパン作りは、日本では、戦国時代に鉄砲とともに伝来したそうですが、皆さまご存知「キリスト教禁止令」によって、長崎の出島で外国人の人の食べ物として作られるだけに。ところが1842年、伊豆韮山のお代官様で軍学者でもあった、江川太郎左衛門という人が、(出島以外で)日本で初めて本格的にパンの製造をしたのがこの日だったからなんだそうです。

 この人の師にあたる方の従者に、長崎のオランダ屋敷で調理方として働き、製パンの技術を覚えた人がいて、この人を江川さんのお宅に呼びよせて教えを乞い、パン焼窯を作りパンを作ったということらしいんですが、その江川さんはどういうわけでパンを作ってみようと思ったのか…。

 私は、そういう趣味人だったのかなと思ったんだけどさにあらず。戦争のためだったんですね。1840年当時海の向こうで起こった『アヘン戦争』。その惨状を知り、西洋の軍隊がこちらへも責め込んでくるに違いないと戦いを覚悟する幕府は、そしてこの江川さんに、兵士たちの兵糧米ならぬ、兵糧パンを持たせるための試作(?)をせよと命じたということだったよう。

 兵糧食には干し飯(ほしいい)というのがあって、お米ですからこれを炊いたり、そのまま食べたりしたとどっかで読んだ記憶がありました。お米を炊くためにはそれ相当ののろしのような煙が上がる。それはこちらの居場所を敵に教えるようなものなので、そういうことのないように、パンを兵糧(非常食)につかおうとした…ということだったよう。

 幸い、その戦争はこちらには渡らず、パンは平和のもとで進化。明治には日本独自の「アンパン」がつくられるまでになって、日本の日常食となって広がっていったんですよね。

 今のウイルスの騒動の中で、それを乗り越えるためにやむを得ず生まれたものがあるとすれば、ずっと時がたって、日本独自の「良いもの」となって根付いてくれればいい。日本にはそういう知恵があるんだから。『パンの日』のあれこれを見ていて、ふとそんなことを思いました。