『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

まっすぐな風景

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okarishitafuukei



 
  前に、テレビや新聞など、「目にするものは、すべがてガセネタだ」というような内容のブログを見せていただいたことがありました。その時は、あまりに極端だと思ったんだけれど、学校で教えられたこの国の歴史というのでさえもそういうことがあると気がついてしまったら、まんざら外れてはいないかもと思うようになりました。そして、それを上塗りしてくれるようなことが次々と起こっているこの頃に、うんざりしてしまいます。

 テレビにも新聞にも、誰かへの批判ばかりが広がり、自分にとって都合の悪い「本当のこと」は書かないし、伝えない。だれもこの国を良くしたいと思っていないんじゃないか。そんな気さえします。そこへの愛があれば、「こうすればいいのに」の一言ぐらい出る気がするんだけどなぁ。

 福沢諭吉さんは、こう言っているそうです。


     自由とは
     他人の妨げをなさずして
     我が心のままに
     ことを行うの義なり

 
 なるほどな~と腑に落ちました。コロナウイルスのことにしても、何だか「他人の妨げ」ばかりが見えている。右でも左でもいい。もっと、(ここでかかれている)「自由」にホントのことぶつけあって語りませんか?と言いたくなる感じです。今のこれは何?


 そんなことを思っていたとき、こんな歌を見ました。


     五月雨の
     晴れ間に出でて 眺むれば
     青田涼しく 
     風わたるなり


 良寛さんの歌です。この頃の五月は今の六月だと思うので、もう少し経ってからの風景なんでしょうね。雨あがりの…青田に出てみた。涼しくて快い風が吹いてる。

 目を閉じれば、その風がほほに触れた気がしました。それは、まっすぐな心で見つめられる風景です。ちょっと救われた気がしました。