突然現れた「言葉」

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 なくしてしまうと困る…と、財布の中にいれていた小さな金具を探していたら、財布にあるポケットから開封してないおみくじが出てきました。いつのものか、ま~るでわからない。…というか、ここにおみくじを入れていたかさえわからない。…というか、ここにおみくじなんか入れてたっけ~という感じ。

 それでも、まぁ、開封してみますよね。そしたら、「なるほどね~。わかりました。そうするように心がけます」というようなことが書いてあったんだけど、その裏に「神様の教え」なるものがあったんです。その中に、「慈悲」について書かれた言葉がありました。


 もの(hikari注:例えば出せるお金とか)がないなら力で、力がないなら言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ


 なんか、それを読んでいるうちに、強い目で見すえられて、そう言われてるような気になりました。で、「そうだよなぁ…」って。本文(表)より、感じるものがあったんですね。大きな災害があった所の方が、時々言われますよね。「忘れ去られている気がする」って。「その時」はみんな勢いこんであれこれ―募金でも、支援でも―するんだけど、少し時間が経つと、けして忘れているわけじゃないんだけど、最初ほどの「見える熱」がなくなる。

 例えば東日本の震災についても、募金もだけど、同じものがあるなら、被災地のものを買う…とか、今でもしているんですよ。細かいことだけどね…。けして忘れてはいないんです。でも、それは言葉にしないと伝わらないのかもしれないなぁ。そう思いました。たとえ小さな声でも、例えば震災についてでなくても、その地域のことを思ってるよって声を上げること。それが私のできることなのかもしれない。そう。「もの」がないからね~なんか、それに気づかせてもらった感じです。

 それを思うと、「もの」もすごく出してくれたけど(5人で5億だったっけ)、スマスマがなくなるまでずっと募金の声を上げ続けた「彼ら」は、えらいですよね。ずっとそうし続けていたのは、結局「彼ら」だけだった。「寄り添ってるよ」って、「忘れてないよ」ってね。




※画像は出雲大社の境内のウサギちゃんですが、見つけたおみくじには「大吉」とあったので、これは出雲大社のではありません。大社のは、「大吉」とか、「小吉」とかいう区別はないんですよね。