まず一言。午後から、これはけずって…とか、これを言っちゃうと面白く無いよねとか思いながら何度も書きなおしているうちに、時間ばかりがたって収拾がつかなくなってきたので、もう一気に(二回にわたってだけど)アップしちゃうことにします。
さて、どなたかがそう思ったとかいうのはおいといて、『クソ野郎と美しき世界』を見て私が感じたことを、つらつらと書き連ねていくわけですが、何せ一回見ただけのやつの言うことなんで、気に障ることがあっても、「あ~。クソ野郎が何か言ってるわ(やろうじゃないけど)」と、かる~く流して読んでくださいね。と、いいわけと前置きはこれくらいにしてっと…。
まず、この映画の構成からお話しましょう。この映画、Epsode01~04の4つのpartでできているんですが、その01は、「ピアニストを撃つな」という、3人でいちばん年上の…。あ~、ややこしいので今回は言っちゃえ。吾郎さんのpartです。
彼が女好き(?)のピアニストを演じているのですが、最初その流れにキョトンとしたというか、言ってみれば「バイオレンス・ファンタジー」(私が勝手に命名)とでも言いたい感じのもので、スピード感もすごくて、「何でそうなっていくの?」とか、「何でやたらに走ってるの?」とか、「そんな出会いだけで惚れられるもん?」とか、「それで、指をつぶすんかい!」とか頭で一々思っていては到底ついていけない世界でした。打ち上げ花火を上げてもらえない私(内容がわかった時点で笑える話)は、流れを受け止めるだけでいっぱいいっぱいです。
ところが、episode01を見た時点では、「一体何なんだ、犬よりすごい臭覚を持っているという、めちやくちゃなこの男は…」と思っていた悪の首領もどきが、最後の04を見た後では、ちょっといとおしい存在に思えてくる…という不思議な展開。
正直に言ってしまえば、全体を見るとこの映画では三人のうちで吾郎さんが一番割を食ってるのかなぁという感じを受けたのですが、episode04で、歌い踊る慎吾ちゃん(作中の表現が、この言い方です)のバックで、とても幸せそうにピアノを弾く彼(実は、指は健在だった)の笑顔はとても美しかった。それが、それまでの割を食ってるな~の感じを翻すくらい鮮やかな印象として残っています。
Episode02は、「慎吾ちゃんと歌喰い」のお話。01がバイオレンス・ファンタジーだとすれば、これはソフィスケート・ファンタジーでしょうか。この中で、慎吾ちゃんは本人として登場しています(ただし、そこでの彼は今は画家として生活しているようですが…)。
どうもこのpartが今の3人の想いの根幹を表しているようだし、これを話さないと思ったことが言えないので、あえてストーリーに踏み込みますが、この映画の中の彼は、街中の壁に絵を書きたいという衝動を抑えきれず、それゆえに度々警察のお世話になっているんですね。
事情聴取の婦警さんは言います。「絵は家で描いて、外では歌えばいいじゃないの。たくさん持ち歌があるんだから。それなら罪にはならないし…」と。彼はそれに応えます。「一人で⁈」(婦警さんのセリフ回しは実際とは少し違うかも。ただ、そういうニュアンスではありました)。
この映画の中で、いちばん私の心の深いとこに刺さったセリフは、このセリフでした。いや、刺さったというより、心の深いところにその言葉がストンと飛び降りてきたんです。彼の持ち歌は彼だけのものではない。それを一人で歌えって? それでいいだろうって?
警察から帰ってきた慎吾ちゃんは、街角で不思議な少女と出逢います。何とこの子、その人が大事にしている歌だろうが何だろうが、歌を食べないと生きていけない子だったんですね。彼女が歌を食べてしまったことで、迷惑をこうむった人のことがたくさんnewsに上がって来ます。そして、ここでの慎吾ちゃんも歌を失うんです。
「あ……」。そこから次が出てこない(多分、冬の風景のあの曲ですね)。「き……」。これも(多分、あの曲のサビですね。トラじゃなくて…)。「せ……」。はい。多分、(21世紀になってから一番売れたCDの)あの曲のサビですね。ええ、確かにそうだと書かれているわけでは無いので、私の想像ですが。
それを忘れたんじゃありません。とにかく「ない」んです。何てたって、食べられちゃったんですから。それどころじゃありません。「ここから歌が聞こえる」と歌喰いの少女が言った彼の絵も全部食べられてしまうんですね。
歌を失った慎吾ちゃん。それは、今の彼らと重なるものがあります。彼はそれを取り戻そうとする(正確には、取り戻すとはちょっと違う)…。こんなお話なんです。その方法というのが、ホントにクソ野郎(ある意味で…です)。
ところで、この中でこんなシーンがありました。歌喰いの「あるとき」を待つために、彼は家に歌喰いを泊めるんだけど、添い寝してきた少女に請われて、モーツァルトの子守唄(確か)を歌い始めるんですね。ところが、「眠れ良い子よ 庭や牧場に 鳥もひ…」…と、ここでまた歌を食われてしまうんです(「これまでで、いちばんおいしい」と歌喰いはつぶやきます)。歌の続きが何て言葉かわかる方は、彼らの解散騒動でたびたび話題になったある方の、「彼女たち」のつけたあだ名を思いだすかもしれません。実は私、そこでふっと笑いました。「〇さんから食ったんかい」って…。ええ、これも偶然かもね。
Episode03は、もと極道の剛君(他の二人に合わせて名前で)と尾野真千子(字あってるかなぁ)さん夫婦が、植物人間になった息子の腕を移植してもらった子を…というより、その腕を探し歩くお話でした(遠くからでいいから、その子を見てみたいと言う理由で)。この夫婦のやり取りがほんとめちゃくちゃで、時として笑えるんです。草彅剛というひとは、この手の役をやらせると横に並ぶ人がないと思う感じなんだけど、ほんとうまい。この映画では、尾野真千子さんとの相乗効果もあったように思います。
夫君は、野球選手になるのが夢だった息子が持っていた野球のボールをずっと持っています。そして、何の理由もなく北を目指していた二人は、最近右腕の移植を受けた少女が行方不明になっているというネットのニュースを受け、南(沖縄)に向かうんですね。
南は方位磁石で言えば、「S」。そして、そこでボール(野球)と海(サーフィンがらみ?)…となると、二人ばかり頭に浮かぶという人たちが少なからずいるようです大事なことなのでもう一度いいますね。二人は南(S)に向かうんです。ボールを持って、海のある南に。ええ、これも考えすぎかもしれませんけどね。
そして二人は、誘拐犯(?)からその子を取り戻し、息子の腕との再会を果たすのですが、取りあえずここまで。Episode3までのお話でした。