ここまででも、気づかれたかもしれません。この映画、どれも何かを失い、新たな「何か」に向かって歩きだす…というのがテーマみたいだなって(正確に言えば、Episode01の主人公だけは、なくしてはいませんでした。あえて言うなら、それまでの女たらし風な生活をなくしたのかも)。それも、なくしたものをそのままに取り戻すというのではなく、それを乗り越えて歩きだすって感じなんです。
それを象徴するような言葉が、ミュージカル仕立てのEpisode04で、明るいオーラ全開で歌い踊る「慎吾ちゃん」から歌として出てきます。
どうしようもないとこから 僕らは始まってたんだ
どうしようもないとこから 抜け出そうともがいた
聞こえてくる耳障りな歌
“諦めろよ クソ野郎!”
耳鳴りのように 誰かの声が
“楽になろうぜ クソ野郎!”
一人とぼとぼ歩いた 真夜中の帰り道
悔しくて 見上げた三日月
ねぇ絶望がここちよくてさ
夢がまとわりついてきてさ
月の奥に懐かしい未来の匂い
手をのばしたら
世界のどこかにきっと
仲間(多分NAKAMAと書くのが正解ですね)がいるはず
眠れ良い子よ
夜の向こうには 約束の場所
さぁ あたらしい詩を歌おう
正直に言って、私はずっと「彼ら」を見てきたわけではないので、そのシーンで、「あんなに打ちひしがれていた彼が、こんなに明るく歌い踊ってる」と感動し、この歌詞に涙を流したというところまではいってません(歌も聞き書きなので、実際のと字も違うかもしれないし。表現も違うかもしれません)。「ああ、やっぱりそういうことだったんだな」とは思ったんだけどね。
ただ、「この人はこういう時、水を得た魚のように輝くんだな。ほんと素敵だな」と思いながら気持ちよく彼の歌を聞き、そのシーンを楽しんでいました。ところが、どういうことでしょうね。何の感傷的な気持ちもないのに、突然涙がにじんできたんです。むせぶような感じでは無くて、流れる感じでもない。それでも、確かに涙がにじんできた。
彼が胸の奥に秘めている、私には得体も知れぬ何かを、言わずに見せてくれていたからなんでしょうか。今でも理由はわからないし、追及する気もありません。不思議な感じだったけど、「そうだった…」。それでいいと思っています。
さて、そんな想いで見たこの映画、「彼女たち」以外の人にも結構好評で、何度も見ている人も多いそうです。いや。かく言う私も、DVDが出たら買おうと思っていますもんね。今の状況で、そういう映画に作り上げてくれた関係者さん、すごい!
さて、この映画のお話はこのあたりで終わりですが、最後にもう一つ。映画を見る前にネットで見た「彼女たち」のつぶやきでいちばんの話題になっていたのは、エンドロールのことでした。ここでは、マスコミにないことないこと(「あることないこと」ではなく)言われ、テレビでは忖度され放題で、今もかなり大きなイベントでもなかったことにされる彼らを支え、応援してくれている企業や人の名前が延々と映し出されていました。
その中には、元マネージャーさんの名前はもちろん、長く末っ子君(ここで戻すか)についていてくれて、彼が事務所を離れるとき、「(彼が)しばらくひとりでくることになるけどよろしくお願いします」と、彼の出演する番組のスタッフに、事務所の反対を押し切ってあいさつに来ていたというマネージャーさんの名前、そして、まだあの事務所に残る次男君についていたマネージャーさんの名前など、彼女たちには見慣れた名前がたくさんあったようです。「彼ら」のそばにいた人たちと3人が、再び仕事できるようになっている。「彼女たち」、きっとそれがうれしかったんですね。そして、そのエンドロールの最後にはこんな記述が。
〈Special Thanks〉
新しい地図 NAKAMA
(確かこうだったと思う)
NAKAMAとは、3人が所属するファンクラブ「新しい地図」の会員を指します。舞台挨拶で、末っ子君はこんなようなことを言ったそうです。「みんなが納めてくれた会費でこれがつくれたんだ」と。彼らの想いを集めた映画。「みんなはずっと支え続けてくれたけど、それは気持ちだけのことじゃない。この映画を作るところまで来させてくれたんだ」。多分そういう想いでの、最大の感謝の形なんでしょうね。いや、『新しい詩』という曲の歌詞もそうかもしれない。NAKAMAと作る、これこそが「美しき世界」なんじゃない?
どこまで彼らの「夜」は続くんでしょう。でも、その向こうには「約束の場所」があるらしい。一日も早く、そこにたどり着けるようにと願います。この映画、明日が最終日です。
『新しい詩(うた)』