雪降る朝に

イメージ 1



 今日は、雪の一日になりそうです。雪おこしの雷まで鳴る立派な大雪モード。それも、午後の2時間ほどで30~40センチくらい降った元旦と同じ感じです。

 これからの成り行きを知るをために、「問題の集団」についての気持ちの悪い報道が相次ぐようになってから、あまりきちんと見なくなっていたテレビのニュースを久しぶりにちゃんと見ました。明日からは暖かくなるみたいだから、そう足もとの心配はいらないみたい…^^v

 あっ、そうそう。気持ち悪いというのは、その出来事がというのとは少し違うんですよ。もちろん、ショックで理不尽な出来事ではありましたが、ネットのいくつものソースで見る世界での反応と、日本国内でのそのニュースの取り扱いが真反対というくらいに違っていたからです。

 ある出来事についてどちらが正しいとかいう感覚は、ひいきの球団が違うと「勝った」「負けた」が違ってくるプロ野球の試合の結果ぐらい違うのはわかっていますが、「どの局も同様におかしい。ここはどこの国だ」と思えて、それも、どうもこちらの報道の方が変だと感じられて、正直に言うと、ぞっとするほど気持ちが悪かったんです。なくなった方を痛む気持ちはもちろんあります。ただ、難しいことを思うからじゃなく、嘘(!)が嫌いなだけなんです。

 これは、いつかの総理大臣さんが、漢字を知らないだの、高いところでお酒を飲んでいるだのと、政治の手腕とまったく違うことで問題にされ、総理の座を引きずりおろされたときに感じたのと似た感じでした。前にもここで話したことがあるかもしれないけど、あのときは、どうしてそんなことが総理をやめなければならない理由になるのかが、私には理解できなかったんですよね。

 漢字の間違いや慣用句の使い方の間違いなんて、だれでもあること。そう言うあなただってあるでしょうと言いたくなった。いいえ。今でも言いたくなります。まじめな顔で政治を語っていた人が、「どこそこで、こんなテレビが(!)売っていました」などと言うくらいですから。

 テレビは(!)何を売ってたんだ。人気のスイーツ? 新しいスマホ? 「テレビが」じゃなく「テレビを」でしょうが。「を」! テレビに物を売らしてどうする!

 …と話はずれつつも、そういう不愉快な想いが何となくでも伝わっているのか、はたまた本人なりの判断なのか、「何だか変だわねぇ。まるで○○さんが悪者みたいじゃないの」と、そのニュースについて言い出した母も、私同様だんだんその手のニュースを流してみるようになってきているんです。

 そんな母は、弁置換手術から8ヶ月が過ぎ、「私なんて、先行き大したことが出来るわけでもないんだから、逝っても良かったのよ」なんて言うことがあります。「体が完全に元に戻ったと思えるのは春頃」と先生から言われ、順調な回復ぶりながらも、まだ体のすべてが自分の思うようにならない苛立ちからの言葉だとはわかっているんですけど。ええ、ええ。愚痴ってやつですね。

 今日もそう言ったすぐあとのこと。ニュース後にあったスティック型の毛染めのCMを見て、母は言ったものです。「これずっと気になってるんだけど、使っても頭皮に害はないかしらね(使う気満々)」。

 おいおい。逝ってもいいって人が、頭皮の心配するんかい!





(画像は、まだ今の雪が降る前のものです)