『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

壊れかけない「あの子」

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少し前にTVで、S○APの慎吾君がドラマで共演してた杏ちゃんとこんな替え歌を歌ってました。

「SM○Pで、少年から大人に変わる~♪(タイトル「壊れかけの慎吾」とか言ってましたね。「壊れかけのRadio 」のさびのメロディで)」

小学生からでしょ? 文字通りですよね。言い換えれば、人生のほとんどをSMA○として生きてきた…ということ。だからこそ守られてきたこともあるだろうけど、それゆえに味わってきた、痛みや不自由さもありましたよね、きっと。

考えてみると、「あの子」も、そうなんですよね。二十代初頭から今までず~っとあれですもん。青年期をそうして過ごしてきた。今は少し落ち着いたけれど、その大変さに一時は不眠症になり、またある時は、(見られて生きることに?)慣れた…とか言ってたこともありましたよね…。

そんな中で、飛び上がるほど嬉しいことも、殴ったろかと思うほど悔しいことも、切ないことや自分ではどうしようもないことに胸を痛めたこともあったでしょう、人間だもの…。もちろん、その忌憚のない胸のうちを知ることはできないけれど、はっきり言って、かの国で、この10年ほどの「あの子」のような立場を、「あの子」のような心持で経験してきた人はいないんじゃないかと思います。いや。私たちの国を含めてもそうかも。そのあたりの想いに心をはせると、ため息が出てきます。

だって、自国だけでもあるあれこれが、こちらでも繰り広げられるということですものね。国と国との難しい関係のなかだから、よけいにです。まっすぐなことを曲がって解釈したり、違うとわかっていて(或いは、わかろうともしないで)、言葉じりをとって無理やり広げていう人だってある。そんな話が、「自分の都合よく理解したい人」によってさらに曲がって広がっていく場合もある…。

神様は、乗り越えられないことには出会わせないというけれど、何だかんだ言われ続けて、そりゃ、ずっとそうだから少しは慣れもするだろうけど、そんな中でよくやってこれてるなぁと改めて思います。最近じゃ、あっちこっちで一般人につぶやかれるし…(といけないことのように言いながらも、そういうのをたまに目にすると、そうなのか~^^と思ったりする矛盾あり)。

実際に決まったものがないとしたら、いえ、決まっていてタイミングを待っているとしても、すぐにも作品に取り掛かれるように、気持ちと体を維持するのは大変なことですよね(そのはずですから…)。ここまで長く続けることができるということは、極め付けのマゾなんじゃないかとさえ思えてきます(すいません、下世話で…)。

そんな日々の中で、慎吾君と杏ちゃんの替え歌の続きじゃないけど、「遠ざかる意識の中、帰れないぼくんちに~♪(遠ざかるあふれた夢~♪のとこ)」とならないように、いや、逆ですね。それくらいになるほど打ち込めるドラマか映画を思う存分やれる日が、一日も早く訪れたらいいのにと思います。そう。私たちのためにも…(結局そこかい…ーー;)。