旅立ちの春

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先々週、父の一周忌法要を営みました。この1年、父のお友だちや縁のあった方たちと、色々お話させていただく時間をもって、これまで知らなかった父の顔をたくさん知りました。

 たとえば、会社での父の顔…。父が、その労働組合の趣旨に賛同できないと、四捨五入すると創立100年になる会社の歴代の社員の中で、唯一その組合運動に参加しなかった人物だったとか、その後、行き過ぎた組合活動で会社はぎりぎりのところまで行き、補填を申し出てくれた会社との折衝の責任者として立ったのが父だったとか、時にはきつい叱責もしていたけれど、仕事が遅くみなさんと歩調のあわない社員の方を陰でこっそり支えていたとか(その方、父の訃報を聞いたとお電話の向こうで泣き崩れられました)、思いがけない話ばかり…@@;。

いろんな話をしてくださった方たちの中で、父が一番親しくさせていただいていたのは、学生時代のあるお友達でした。父とともに同人誌をやっていた方で、お話したことはもちろんありましたが、これまでは挨拶程度で、特に親しくお話したこともなかったんですね(以前一度、その方について触れたことがありました)。

今回、一周忌にあわせてきてくださったその方と、3時間あまりお話することになったんですが、その3時間というのも、あれこれ話していたらあっという間にそれくらいたってしまっていたという感じで、コタツに入り、うちの粗茶や粗コーヒー(^^;)を飲みながらお話させていただくというなじみ方…^^;。

楽だったんですね、とっても…。おかしな言い方ですが、「家族」みたいに感じました。何なんだろう。この楽さ加減は…、と思ったとき、気がつきました。裏がないんです。言ってらっしゃること、心のまんまだとわかる…。

実は私、幼稚園の頃から大人のそういうのをはっきり感じるヤツだったんですよね。この人、言ってることと思ってることが違う、って…。まっ、たぶん子供ってそういう臭覚を持っているものなんでしょうけど…(ってことは、私は歳だけ食って、いまだに成長してないってことか…ーー;)。

自分の専門に関することでも、世の流れがどうであっても、自分がおかしいと思うことには、とてもはっきりノーとおっしゃる。それは、実は自分のやってきたことを批判することにもなるんだけど、それでもそうだと言い切ってしまったり、とにかく裏がない…。それは、その歳の方としては、そして立場のある人としては、けしてほめられたことでもないのかもしれないけれど、ある種不器用なそんな話し方だから、私には楽に感じられたんですね、きっと…。嘘がない。そう思えたからかも…。

そのあと、気がつきました。父は頑固で融通が利かず、我が家では徹底的にワンマンでした。方やこの方は、父よりは物腰が柔らかく、大学や大学院で学生さんたちを教えていらした分、同世代以下の人と話すことにもなれてらっしゃるという違いはあるけれど、父も同じだった。人に対して言ってることに裏がなかった、って…。

 ああ。そうだったんだ。そう思いました。そして、それで何故か、おかしな言い方だけど、快く父を旅立てる…。そんな気がしたんです。一周忌が過ぎた今だから、かもしれません。