今日は、夢の話です。ずっと前に、「ツチノコ」がしばらく登場したって話をしました。おかげさまで、今は見なくなってるんですが、いつになっても覚えている印象的な夢があるんです。
私は、時として異様にリアルで、それでいてとんでもない、おかしな夢を見ることがあります。まっ、夢ってそんなもんっていえば、そうなんだけどね…。時には、オチまであるんです。これは見てる本人が持っている資質のせいかもしれません(汗)。そういう夢の結果として、どこかに出かけた時に、「これはこの前の夢の場所」と気づかされることも何度かあります。
いつかの夢は、私は大正時代あたりの娘のようで、袖丈の長い友禅模様の着物に羽織を着て、後頭部には、大きなリボンをつけて、何人かのお友達と、どこかのお寺に出かけるというものでした。
大きな行事のようで、美しい色合いの法衣を着たお坊さんが長々と続き、そのあと修行僧のようなお坊さんが続きます。その一番後ろにいたお坊さんと目が合いました。ひと目で恋に落ちました。あちらも目が離せず、でも、そこで立ち止まることが出来るわけもなく、お互いに気にしながら遠ざかっていって目がさめたのですが、何だか起きてからも、妙にその光景が気になりました。
その少し後、わざと時期を少しはずして出かけた京都で、その場所を見つけたんです。真如堂。紅葉で有名なのでいかれたことがあるかもしれないですね。
「ここだ!」とはっきりわかりました。背筋が延びるような、不思議な感じがありました、こういう場所に出会えるということは、何か(誰か?)にここで出逢えるかもと思ったのですが、そうはうまくいきません。誰に逢うわけでもないし、ある塔頭の方に、「若い女の子が来たがるような、そういう行事がありますか?」とうかがったら、「あったらいいんですけどね~」と笑われました。
もうひとつ、場所にかかわる夢があるんです。その夢で、私にはとても大事な人がいました。一生どころか、何度生まれ変わっても、たぶん彼を愛するだろうと思えるほど、大切な人です。その人と、彼のお母さんに会いに行きました。町は何故か、恐ろしくレトロで、イメージで言えば、昭和40年代って感じです。
なにかのお商売をしておられるらしい仕事帰りのお母さんを迎えに行き、お母さんのリヤカー(!)を、ふたりで押しました。3人何を話すわけでもないのに、とても幸せでした。ふと気づくと、道沿いにバス停が。そのバス停の標識には、「なんとか(ここは忘れてる)洞」と書いてあります。「ここはそういう名前なの?」と聞こうとしたら、彼が少年に代わってたという、例のオチ付きの夢。
実は、3人でリヤカーを押したときの幸福感がずっと忘れられなくて、あたらしい土地に出かけるとき、それも旅の楽しみ方、と、地図で「洞」のつく場所を探すようになりました。あるとき、その話を何気なく友達にしたんです。そして、いまだに探せないということも。ワッフルを口にしながら、彼女は、「それって、ドウなの? ドンじゃないの?」。
「ドウよ。ほこら…。漢字の洞だもん…」
「だから! それを韓国読みすると、ドンと読むじゃない。あっちなら、その字がつく場所なんて山のようにあるわよ。あっちに行って、探してみたら? 今度はあんまりたくさんあって、探せないかもね~(爆)。」
目からうろこ、でした。いつか、出かけることがあったら、夢で見たゆるい坂道を探してみようと思います。真如堂と同じ結果かもしれませんけどね(笑)。
(タイトルは、映画監督のキム・ギドクさんが、インタビューの中で使われた言葉。とても印象的だったので、私も使ってみました)。