『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

お盆とは…

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この3日間、計ったように午後3時を過ぎた辺りで、毎日「大雨洪水警報」が出ています。大雨だけでなく、とんでもない雷鳴が轟き、トラブルでもあったら大変だと、パソコンの電源を落とす状態が5時ごろまで続くんです。幸いにも被害は出ていないんですけど…。

しかたなく、そんな時間に読んでいたのが、『怪談和尚の京都怪奇譚』。ア○ゾンで京都関係の本を探していて見つけた本です。内容としては、和尚様によって語られる、この時期ならでは(?)の実話がたくさんと、それにまつわる仏教コラムが少し挟まれている本なんですね。

その中には、鳥肌がビビビ~と立つ話もあるにはあるのですが(私には三つばかし)、この世を去った方たちへの和尚様のやさしい視線が感じられて、その上仏教のことも学べる、怖さより「ああ。そういうこともあるだろうな」とか「なるほどな~」と思う気持ちの方が勝つ、不思議な本でした。

和尚様のコラムに、こんなお話があったんです。

それは、お釈迦様とそのお弟子さんの目連賢者という方のお話。その目連さんのお母様が亡くなり、お母様があの世でどうしているだろうと心配になった目連さん、自分の神通力をもってその姿を探したのですが、お母さんは行っていてほしいと思っていた「天界」にも、その下の「阿修羅界」にも、「畜生界」にもおられず、何といちばん下の「餓鬼界」に、飢餓に苦しむ状態でいらしたんですって。

目連さん、必死の想いで、お母様に水や食べ物を送るのですが、どれも燃えてしまって届きません。困った木連さんは、どうしたらいいんだろうとお釈迦様に相談されました。お釈迦様は言われます。「お母さんだけを救おうとするんじゃなく、そこにいるすべての人を救おうとしなければ、お母さんは救われないよ」って。

木連さん、それではと、たくさんのお坊さんを集め、飢餓界にいるすべての者のために供養の法会を行うことにしました。その法会のおかげで、そのお母様を始め、飢餓界にいたすべての者が救われた…というお話なんですね。

この法会が行われたのが、梅雨の開けた月だったと書かれていたことから、日本では夏に施餓鬼会(せがきえ)=お盆の行事を行うようになったんですって。

お盆って、ご先祖さんの里帰りのような行事なのかと思っていたら、そういうのが始まりだったんですねぇ。帰ってこられる魂にも、帰っていく場所がない魂にも、心安らぐ時を―。今年はそんな気持ちでお供えをしたりしてみようかな…。