『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

立ち別れ いなばの峰に

f:id:hikari2038:20210425181914j:plain
kentarosan




 実はよそでちょこっと書いたことなんですが、YouTubeで気に入ってよく見ているとこの「野良猫健太郎」が、数週間前からいつも餌…というより、ご飯を作ってくれている「おっちゃん」のところにあらわれていないらしいんです。何か、淋しくてね…。

 少し話はずれますが、誰かのことをどうしているだろうとか思っていると、当の本人が現れるとか連絡があるというのはよくある話ですよね。昨日は、帰ってきてくれないかなと思っている健太郎に関する情報を得る。そんな日だったんです。

 偶然耳に入ってきたのは、「最近の飼い猫の寿命は15歳くらい。20歳を過ぎる者も少なくなく年々延びている。対して野良猫には、気候の変動や猫同士の争い、交通事故や外来動物との戦いなどがあり、毎日食べられるわけでもないという食生活の厳しさもあって、寿命は3歳くらいだ」という話だったんです。5歳ぐらいとされている場合もあるようだけど、いずれにしても、飼い猫と比べるとはるかに短いようですね。ちょっとショックでした。


 健太郎が…とは思わないけれど、どうぞ過酷さと戦わずに早く戻り(?)、おっちゃんのご飯を食べにおいでと思わずにはいられませんでした。いや、わたしが勝手に、遠くに行っていると想像して思うことなんですけどね。

 そしてもう一つの情報。ネットでは、飼い猫がいなくなったときのおまじないを見かけたんです。これを実際にやられた方は、これをやると100パーセント帰ってきてくれると書かれていました。そうだ。そのあとでYouTubeの健太郎のアップを少したどっていたら、「おっちゃん」さんにこのことを伝えるメッセージを残している方を見つけました。かなり有名な方法のようですね。


   
  立ち別れ いなばの峰に生ふる
     まつとし聞かば 今かへりこむ

 

 1160年以上前の、在原行平が詠んだ和歌です。ネットを色々覗いてみると、この歌を書き、その子がいつもいた場所や玄関に、外から見えるように貼っておけばいいとか、いつも使っていた器をこの歌を書いた紙の上にのせておけばいいとか、全部を書くんじゃなく上の句だけを書いて器を伏せ、帰ってきたら下の句を書いてそれを燃やすとか、使われた方法はそれぞれあるようでしたが、この句を書いて「待ち猫」を待つというのはおなじで、100パーセントとは言わないまでも、かなりの確率で帰ってきているということのようした。

 今は後ろ髪を引かれる想いで因幡の国に(因幡守として赴任するために)向かうけれど、その因幡の国の峰に生える松のように、あなたが待ってくれていると聞いたなら、すぐにも戻ってきましょう。この歌は、そんな意味になるでしょうか(hikari意訳部分あり)。

 この歌を置いておくと(あるいはどこかに貼っておくと)、猫ちゃんが帰ってくるということは、猫ちゃんをこの歌の主と見立て、一刻も早く帰ってきてほしいと願う飼い主の想いを猫ちゃんが察して戻ってくるということなんでしょうかね。


 実はこのおまじない、猫だけではなく、別れてしまった人とか、なくなったものとかでも有効なんだそうです。戦時中は、出征された方のためにこのおまじないを使った方もあったといいますから、古くからあるおまじないなんですね~。
 
 いずれにしても、帰還する確率は高いというこのおまじない。もし猫ちゃんがいなくなって哀しい想いをしてらっしゃる方がおられたら、一度試してみられたらどうかなと思い、ここに書き残しておきます。

 なんかね~。いろいろシリアスなことが起こる毎日の中で、この話での人を思う(猫だけど)想いにうたれたんです。よしっ!、私もやってみよう。ここにだけど…。

 

  立ち別れ いなばの峰に生ふる
     まつとし聞かば 今かへりこむ 



 けんたろ~! 帰っておいで~!! みんな待ってるよ~。待ってるんだよ~。みんな部外者だけど…。