『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

困ったJUSTICE(追記あり)

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ある日の夕景




 今朝は選挙のニュースでしたが、香港の騒乱のニュースが毎日のように流れていますね。それを見ていると、日本で生まれ、その日本でものんびりとした環境で育った私には想像もできない深刻さと不条理を眼前にして、若者たちは必死に戦っているんだろうなと思えます。ただしツイッターでは、「テレビのニュースでは、本当のことは伝えられてはいない。もっとひどい状態なんだ」と伝えるものもあります。

 これまでは知ることができなかったような事々を、調べる気になれば調べることができる時代です。でも、このツイッターというのもくせもので、誰かに賛同しているように見せかけて仲間に取りこんで勢力を増やし、敵対する相手の行動を都合のいいように拡大解釈して批判。さらに、いてもらうと都合の悪い「ただ一人」に批判や攻撃の矛先が向けるような場合は、ちょっと注意が必要かもしれません。

 それを発信している人はどういう経歴を持っている人なのか…。いろんなことを知ることができるようになった分、そういうことを知らないと簡単に信じてはいけない時代になって来たんじゃないかなぁ。特に、政治的な問題においては…(上の叫びのようなつぶやきがそうだというわけではありません。こちらに何も賛同してもらっているわけでもないし、仲間に取りこまれてもいないし、彼らは「ただ一人」に矛先を向けているわけでもない。戦っているのは、もっと大きな相手なんですから)。

 いろんな種類のいろんな情報が流れる中で、昨日保護された女の子のように、不用意に相手を信じて行動してしまわないように…というのを子供たちにもわかってもらうためにはどうしたらいいんでしょうね。


 さて、ここからが、どうしたらいい…な本題(「ここまでは、枕言葉かい!」という声が聞こえる気がする…)。↑でもちらりと書いたけど、とにかくのんびりした田舎で生活していると、「困った正義」…というか、どうするのが一番いいのかと戸惑うことがあるんです。その「困った正義」というのは、横断歩道でのこと。

 赤信号は、当然止まって待ちますよね。で、そこで待っている人たちは青信号とともに歩きだす。それがルールですよね? だけど、田舎だとそれではちょっと困るときがあるんです。たとえば、そう何度もはないんだけど、道を渡りたい歩行者と止まらなければならない車が一対一だったりする場合のこと。

 街を歩く時は気にもしないんで、そういうのがあるのかどうかさえわからないんだけど、交通の流れが一定でない小規模なとこでは、信号のとこに「まってください」か「おしてください」の二つのサインが出る信号機がある…というのはどこでもなのかなぁ(田舎だけ?)。その下にボタンがついていて、「おしてください」が出ているときは、信号が変わったばかりでしばらく歩行者が待たなければならないときだから、そのボタンを押す。一方の「まってください」は、もうちょっとで信号が青に変わるということだから、そのまんまで待つということになります。その信号の前ではそれがお約束。

 赤信号。目の前に車はいない。ただ、車が一台だいぶ向こうから来ているのが見える。この場合ルール上は、赤信号なんだからそのまま待ちますよね。ただ、歩行者本人はちょっと急いでる。で、「おしてください」のサインも出ている。信号が変わるのにちょっと時間がかかるんですね。

 ここで、はたと手が止まるわけです。あの車は、自分がいまこのボタンを押せば、だ~れもいないし車も来ないのに、横断歩道でしばらく待たなければいけない。歩けば1分もかからない道を自分一人が歩くためだけに、急いでいるかもしれない相手の歩み(車に歩みは変か…)をしばらく止めさせてしまうのか…ってね。

 急いでいるんだから押せばいい。そういうルールなんだから。そう思います? うん。それ正しい。相手の足を止めるのが嫌なら、青になるのを待てばいい。うん。それも正しい。でも、多分あの車がこの信号のところに来る前に、自分はこの横断歩道を渡ってしまえるとしたら…。どうする? 

 そんな場面に遭遇した私は、赤信号を無視して渡りました。これってだめ?



〔追記〕

※そう言えばこれ、腕を傷めてから初めて撮った写真でした。