『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

ボーカリスト4

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 ここ数日、二つのストラップを首にかけて家をうろうろしていました。ひとつは、しばらくの間つくえの上に置いたままだった歩数計。もうひとつには、オーディオプレーヤーがぶら下がっています。オーディオプレーヤーに入っているのは、語学勉強用のもののほかに、好きな曲のあれこれと、徳永英明さんの「ボーカリスト4」。

 前に話したことがあったと思いますが、ことボーカルものにおいて、私には食わず嫌いな部分があります…というか、声が自分にぴったりこないと、それ以上聞く気にならないという悪い(?)癖があるんですね。そのアルバムに収められている中には、そんな理由で聞き流していた曲もあって、「この曲、いい曲だったんだな~」とか思う以前に、「この曲、こんな曲だったんだ」と気がついた…なんてこともありました。

 おもしろいもので、歌う人が違うと、元歌と同じように歌われても、違って聞こえるんですよね。「メロディラインは好きなんだけど、詞がな~ーー;」と思っていた曲の詞が、ほんとに気持ちよくストンと心の底に落ちてきたり、「優等生的な曲」だなと感じていた曲が、徳永英明というボーカリストのいい意味での「アク」で、強い意志を感じさせる曲になっていたり、女歌ながら、力強い男性的な曲がソフトケイトされたりしているものもあったりして、それぞれを面白く聞いています。

 先日、彼があるテレビ番組で、カバー・アルバムについて語っているのを聞きました。「(名曲たちは)『日本の財産』なんだから、それを歌い続ける意味があるし、原曲をこわさないように歌っている」というニュアンスの話です。「日本の財産」という言葉がとても新鮮でした。そういわれてみると、一連の『ボーカリスト1~4』を聞いている人の年代は、その曲たちがはやっていたのを知っている人たちばかりではなく、それ以降の人も多いんですよね。そうやって人の心と触れ合いながら歌い続けられる歌は、確かに財産になりえるのかもしれない…。

 ただ、一連のボーカリストシリーズのヒットは、彼のボーカルあってのものだと思います。なんと素敵なボーカリストであったことか。もちろんシンガーソング・ライターさんですから、ご自分の世界を歌われているのもいいでしょうが、選ばれた「人の曲」の世界を歌う彼は、別の意味で魅力的です。だいち、彼がとても素敵に歌っている、初恋時代の(それも女の子側からのまんまの)歌を、アラフィフ男性の彼が作れるかっていえばね~^^;。いや。作れるのかな~。つくれるかもしれないな~とあれこれ思ったりもして…。ボーカリストシリーズ。何度も楽しむアルバムになりそうです。

 ところで、音楽じゃなくて、もっと待ってるものがあるんだけどな…ーー;。