『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

豊かになれる人

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 このところ、徳永英明さんの『ボーカリスト1・2・3』の中の曲を、自分でセレクトして1枚のCDにしたものを流しながら、色々動き回っています。単純作業をしているときほど、歌詞が心にストンと落ちて、「ああ。これいい曲だった(!)んだな…」なんてね…(いつかお話したことがあったと思いますが、けしてオリジナルの方が悪いというわけじゃないんですよ)。

 この3枚のアルバムがここまで受けたのは、それこそボーカリスト徳永英明という人の個性に負う部分はもちろんあるけれど、彼が自分の個性を押し売りせず、オリジナルのよさを踏まえた上で、その歌詞の世界をまっすぐに歌っていることにあるんじゃないかな、と私は思っています。

 カバー曲の場合、余りに歌う方の個性が強く出すぎると、オリジナルを知っている人にとっては、そうして、それをとても大事に聞いてきた人にとっては、言葉は悪いけど、「あんたの独りよがりのシャウトなんか聞きたかないよ!」とか言いたくなる時があったりして…。このアルバムには、それがない。この中の彼の歌は、聞き手の心に添っている。そんな風に思えます。

 少し前に、こんな言葉を聞いたことがありました。「いろんな意味で『豊か(お金だけの意味ではなく)になれる人』というのは、人を幸せにしたり、うれしくさせることができる人だ」。聞き手の心に添う歌を歌うことも、それに入るように思います。

 そういえば、話は少しずれますが、ドラマの内容をそのまま映画にしようとするのも、ある意味コピーですよね。何故そのドラマをみんなが愛したか…、それを見間違うと、とんでもないことになりますよ…って、一言だけ言っときましょうかね。

 こびるのではなく、人の心に添うこと…。もしかしたら、それが大事なのはコピーだけのことではないのかもしれません。


(この画像を選んだ理由は、わかる人にはわかりますよね…。少し前の話題ですが…^^;)