『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

ほんとだった…@@;


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 昨日行われるはずだった、京都の祇園祭の行事の一つで800人以上の子供たちや和服姿の女性たちが、八坂神社から4キロほどを練り歩というく『花笠巡行』が、このところの高温での健康被害などを考え、中止になったというニュースが流れました。

 山鉾巡行はBSで生中継があったので、リビングのソファでのんびり見てましたが、それも十分暑そうでしたから、このところの暑さの中、国内一の最高気温の日もある今年の京都です。準備されて来た方には残念だったかもしれないけど、いい判断だったんじゃないかなぁなんて思ったんですよね。何かあってからでは、はじまりませんから。

 早速昨日の「つぶやき」では、これまでに中止になったことはあるのか…という話題が…。

 私がちょこっと調べたところでは…ですが、西暦869年に厄病退散を祈念して始まった祇園祭は、その頃は毎年ではなく、厄病が蔓延した時に行われるものだったようです。毎年行われるようになったのは、970年。町衆が関わりるようになって祭りとして発展、定着していったということのようですから、さる戦いで焦土となったために、30年ほど「できなかった」時があるとは言うものの、1159年の歴史があるということのよう。

 着飾った子供たちや女性たちが練り歩く『花笠巡行』は1966年と、比較的最近始まったものだけれど、山鉾巡行は、南北朝時代には始まっていたそうな。これまでに、その山鉾巡行が中止されたのは、たったの2回。一度は、太平洋戦争の時。もう一度は、阪急電鉄の地下工事のときだけだといいますが、それ以外でも歴史に残るあれこれがあったわけですから、そうとうな逆境でも続けてきてらっしゃるということですよね。そんな方たちでも勝てなかったのは猛暑。もう「災害」だってことですもんね。

 実は、そんな頑張りの中でも、この祇園祭自体が中止になった時が、一度だけあるんだそうです。このことが「つぶやき」の話題になっていたんですね。それは何と、「応仁の乱」の時!(つぶやき通りだ!)

 ……………応仁の乱

 …って、ほんとに、あの「応仁の乱」よね(他にどの応仁の乱がある…)。あの、1400年代後半に、10年ぐらいに渡って戦いが繰り広げられた、「応仁の乱」。 太平洋戦争の方が大変だったのでは?…と一瞬思ったけど、「応仁の乱」は京都が主戦場だったわけだから、そうなるかぁ…。…っていうより、応仁の乱のときだけかぁ…。

 京都の方にとって、この前の戦いといえば、「応仁の乱」を指すって、笑い話のような噂話があるけれど、そういう祇園祭の歴史を思うと、あながち笑い話ではないんだなぁなんて気がしてきます。

 いろんな場所である、昔ながらのお祭り。そのそれぞれに、いろんな歴史があるんだろうなぁ。






※祇園祭の画像を持ち合わせてなくて、京都のというだけが接点の、某茶室のお庭です。