『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

心をまっすぐにする方法(ちょっと修正)

イメージ 1

この頃、海外のことで、心配だったり不愉快になるようなニュースが続いていますね。

前に、ちょっと触れたことがあったかもしれませんが、これに関連して、漠然と感じていることがあるんですよね。「トラブルは、怒ってるほうに別の問題があるからなのではないか」ということなんですけど…。

すべてが順調で楽しくてしょうがないとき、一人二人とんでもないことをしたり、言ったりする人がいて、多少いらっとしたとしても、半分あきれ加減で、「何言ってんだか」と思うくらいですんでしまうんじゃないかと思うんですよね。それが、そうならないのはなぜかということなんです。

「怒りすぎたほうが負け」ってことばを聞いたことがありません? あれ、ほんとですね。冷静さを残している方は、怒りに任せてあれこれ言葉をぶつけられてる間に段々わかってくる。「ああ。この人の怒りの本当の原因はコレじゃないんだな」って…。で、結局は自分のおかれている立場や現実に対する不安や怒りをぶつけてきてるんだ…なんてことも見えてくる(で、それを自分からさらしてしまったことに、相手は気がついていないなということもわかる)。それをぶつけるのにちょうどいい出来事が、そして相手がそこにあっただけ。

それに気がつくと、「心の底、見~ちゃった」という気になります。「あんなに立派なことを言ってても、本心はそれか~」って心境にもなる。そして、怒るより他に、それを何とかスル~する方法も見つかる(…こともある…^^;)。怒りすぎたほうには、それを見つけるのは不可能です。自分で「やっちゃった」ことに気がつかない限り…。

今のあれこれにも、それと同じことを感じます。心がまっすぐで何者にもとらわれていないなら、そうはならない気がします。そして、そういう動きにイラッとする自分の心も、ひょっとしたら、ちょっと傾いているのかもしれないな、と思ったりするんです…。だとしたら、さて、どうして心をまっすぐにしますかね。あなたなら、どうします?








※パソコンが正常なうちにと思って、さ~っと見たきりで急いで記事をアップしたら、誤字や言い回しが変なところがあって、後であっちこっち直しました。あしからず~^^;。、