『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

人が人を思うとき(追記)

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 気持ちを立て直そうとしても、やっぱり知れば知るほど辛くなりますね…ーー。想いは伝わるものですから、できるだけ冷静に穏やかにと思うのだけれど…。

 私事ですが(ブログは私事を書くところといえばそうなんですが)、階段から落ちたことがあるんです。階段途中にワープロを置いて、忘れたものを撮りに2階に戻り、再び降りようとしたそのすぐ後の出来事でした。ただ落ちただけでなく、ワープロを巻き込んで落ちたものですから、それが向うずねに当たり、左足の弁慶の泣き所…とか呼ばれる辺りがぱっくりと真横に、裂けるような形で口を開いていたのです。骨が見えていました。

 それからどうやって近くのお医者様に行ったのか、とにかくその足で歩いていきました。長めのスカートをはいていましたから、人からは見えなかったでしょう。そのお医者様は内科でしたし、うちでは無理だとそこから近い総合病院を紹介され、手術を受けたんですね。

 「この状態だけ見たら、間違いなく神経が切れてるし、骨折もしてるだろうと思えるのに、驚くことにわずかに神経を傷つけただけで終わってる。奇跡的だね。これなら縫合手術して、一週間ほどは入院してもらうけど、抜糸したら、普通に歩けるし帰れるよ」と、主治医の先生。確かにその通りで、実は、一番最初に私が、リハビリがてらにウォーキングをしたのはその後でした。その時に、空を眺め、季節の風を感じたりするウォーキングの楽しさを覚えたんですよね。

 結局、紹介状を送っていただいたのが整形外科だったので、その縫合も丁寧で、今ではよほど近くで見ないかぎり、傷跡はわからないようになりました。何度かその跡が痛いような痒いような感じがしたり、鈍痛があったことはあったものの、今ではそれもなくなり、5キロくらいは平気で歩ける…というお話はこの前に書きましたよね。そんな風になってはいます。

 そして、それを経験したからこそ、お年寄りや体の不自由な方が、荷物を持って駅の階段を下りようとなさっているのなど見たりすると、放っておけなくて駆けつけ、「荷物を持ちましょうか?」とか声をかけたりできるようにはなりました(もともと内気なので、思ってもそういうことができない性質だったのです)。それは、怪我をしたことの裏返しの宝物だなと思っています。

 でも、実はその落ちたときの記憶が今でもないんです。落ちるときに頭を打ったのか、とも思いますけど、私にとって思い出したくない記憶だから、心のたんすの奥深くにしまってしまったのではという気がしています。それでも、2~3度ですが、ぱっくり開いた傷をフラッシュバックのように思い出し、思わず身を硬くした…なんてこともありました。これからもあるかも…。

 心についた傷は、なかなかに難しいですね…--;。