『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

もとなや恋ひむ 逢ふ時までは

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               『七夕祭り』
                           
               人影 とぎれた 道路の真ん中
               うしろで 組んで
               空を 見上げた
               もう二度とは 会うことのない人たちと
               むかい合うように

               失敗だらけの 事々を今
               いとおしく 思えるのは 何故だろう
               見かけほど おとなには
               なってや しないのに

              
               であってきた すべての 人たちが
               幸せでありますように


               今夜は
               星のきれいな 夜です



 
 今月は、旧暦の七夕の月です。古ではこの七節句の七夕の日に、歌詠みの宴が開かれたのですね。すてきな七夕の歌は、たくさんあります。子供や生活を詠った歌の多い山上憶良にも、もちろんあります。

 いくつか前のupの時に話しましたが、友達から、歌人山上憶良について調べてくれと頼まれたことで、私は彼のプロフィールをはじめて知りました。百済からの渡来の人だといわれる彼が、世に出る40歳ごろまでは、かなり大変な生活をしていたらしいということ。そして、それからはその文才一本で出世していった人だということ…などなど。教科書で見た、「しろがねも くがねも たまも…」とか、物よりも子供をいつくしむ歌、生活苦を詠んだ歌などは、彼のこういう経歴による所が多かったのでしょうか。それとも、そういう自分が経験したことを詠いたい人だったのでしょうか。

 とはいえ、彼も人の子。女(ひと)を思う歌だって詠んでます。七夕の宴の席ですから、まっ、織姫と彦星を思ってということで、自分の切実な思いを詠んだわけではないようですが、七夕の時期なので、いま話したupのときにも上げた歌を、もう一度上げときますね。

 袖振らば 見も交(かは)しつべく 近けども 渡るすべなし 秋にしあらねば

 【通釈】袖を振れば、お互い見交わすこともできるほど近いけれど、川を渡るすべがない。七夕の秋でないので。

 玉かぎる ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ 逢ふ時までは

 【通釈】ちらっとお逢いしただけで別れれば、むしょうに恋しく思うでしょう、再び逢える時までは。

 さて、わたしも七夕の夜までに、いいかんじの恋の歌でも上げられるように時を過ごしてみようかな(笑)。(画像は、大宰府にある、山上憶良の歌碑)。