『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

いろんなことをかかせてもらって~いつかはそのときが~

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これも書くと言っていた、「末っ子君」の個展のお話です。長きにわたっての、フランスと日本の友好を記念しての行事。その一環としての、彼のパリでの初個展。ルーブル美術館が正式に自分のところの行事と記して、そこにあるホールで行われたものでした。あまりの広さに一瞬緊張しかけた彼、「あっ。東京ドームより狭い」と思ったら緊張が解けたといいます。「彼ら」のコンサートの演出をやってきた彼らしい想いですよね。そのホールにあった衣装というか、衣類のアートというかを見た時、「ああ。SMAPのコンサート会場のようだ」と思ったとつぶやいていた人もいました。

 そう。そのころの「彼女たち」のつぶやきは、ほんとにワクワクさせてくれて楽しかったんです。それは、あの騒動からつらい想いに耐えてきたはずの彼女が、設営をする彼が動き回っているのを遠くから見ただけで、「(彼が)動いてる。よくここまで耐えてきてくれた」と涙し、泣き崩れんばかりの泣きっぷりに警備員さんが飛んできたとかいう話だったり、近くで彼と会ったというのもあったり、彼が絵を書いていたのが、キャンバスだけでなく、某電機メーカーのテレビが梱包されていた段ボールだったり、画材屋さんの名前の入った、やはり段ボールだったりしたのもあることが絵の後ろに回ったときにわかった…というのもあって、その電機メーカーさんや画材屋さんも、それを喜んでつぶやきを寄せていたりもしていて、とにかく、あったかい空気感が伝わってきたんですよね。ホントに幸せな空間だった

 そして、その絵などの評価も、こちらでデッサン力がどうのこうのといった批評をする人がいたわりには(これは、おかしい。彼はデッサンをしないそうなので)、あちらの評論家の方にも高評価だったよう(実は、その頃しなくちゃいけないこともあったんだけど、その方の名前を失念したので、探していて記事のタイミングを失い、今になりました。…って、今も見つけられないンだけど、恰幅のいい、聡明そうな年配の男性でした)。その方の言葉に、ハッとしたんですよね。「彼の絵は、色彩がとても美しいのに目をひかれるけれど、浮世絵のようなニュアンスも感じる」というようなことをいってらした。

 浮世絵…。そうだ。浮世絵だ。そう思った。浮世絵にはデッサンはない。縮尺も見たとおりではなく、たぶん絵を書く上でも、師匠を得て絵画を学んだような、「約束通り」のものや、定型的なものではなかったはず。その言葉が腑に落ちました。

 (絵がどうあるべきなのかの)正解は彼の中にあると(だから、思う通りに書けばいいんだというニュアンスで)いわれたという横尾忠則さんの言葉通りなのだと思います。彼は彼の想いを思う通りに書けばいい。それも彼のアイドル味の一つなのでしょう。

 実際には見たことがないけど、画像で見る限り、彼の絵は饒舌な感じがする的なことを前に書いたことがありました。今年行われた彼の日本での初めての個展でも、他のしい絵ばかりでない絵とそれが書かれた時期の記述に、どきっとしたり、苦しくなったファンの方も多かったようです。その中に、あの騒動のさなかに書かれた絵もあった。それどころか、その個展の最終日に会場を訪れた「真ん中君」が、「(一緒にいた自分でも)あの時そんな風に思っていのかと初めてわかったこともあるし、(ご覧になった方は)この56年の、彼が味わってきた想いを知ってもらえたと思う」というようなことを語っていました。

 34年ではなく、56年と彼は言った。つまり、その頃から何か深刻なことが起こっていたということなんでしょう。いつか見た、目に包帯をぐるぐる巻きにされた哀しい男の子の絵は、あの騒動の中でではなく、もっともっと前に書かれたものだったそうだから、さもありなんです。絵は、彼の精神安定剤でもあるんでしょうね。

 もう時間がありません。「真ん中君」、「下から2番目君」について触れたくても、ここで触れることはもうできないけれど、いろんな制約を受けているとしても、3人の活躍は見事です。それぞれが、以前より輝いて見える。毎日が必死だというけれど、何より楽しそう。で、まるで若くなったかのように見える。つらい時を超えている最中の彼らの歌声は前より厚みを増しているみたいだし。

 再び集まれたとき、そう。それぞれが成長して5人が集まった時には、とんでもない、ありえないアイドルグループが生まれるはず。そう思っています。それを見たい。頑張れ!SMAP!


※3記事とも一気書きで、推敲してません。怪しいとこは、見逃してくだされ~~。