『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

二の宮めぐり~大神山神社 必要なものはこの山が調えてくれる~

(前記事からの続き)



  石段をやっとの想いで降りてから、ちょっと余裕が出てきました。足取りが危ないのは変わりないんだけど。予定通り長寿の水をボトル(というか水筒というか)にいただいて、少し来た道を戻っていくと、左手に金門・賽(さい)の河原への案内板が見えました。

 「ああ。金門と賽(さい)の河原か…」

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 ここを訪れる前に、ネットで見ていました。この二つのある場所は、この神社最大のパワースポットだ、と。神社について見たのはごくわずか。それも、旅の感想を集めたサイトだったので、写真もよく見てなかったんだけど、「この神社に来て、ここを訪れないなんてもったいなさすぎる」と書かれていたのは覚えています。お参りに伺うことが目的だったし、そっちはいいやと軽く読み流していたんだけどね。

 日本有数といわれるパワースポット、大神山神社の中で最大のパワースポット…。いったいどんなとこなんだろう…。ちょっと斜に構えながらも興味がわいてきました。で、すぐそこらしいから行ってみようと決めました。

 幸い、雨はまた少しだけ小さくなってきていました。参道を逸れ、木で滑らないように足組された段を下ります。これもすごく高さを感じたし、危うい感じもしました。何せ、ボロボロの足ですから。それでも、ゆっくりゆっくり下りていくと、もう間違えようもなく、これが賽の河原だ~と思える風景が見えてきました。


 
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その風景を見た途端、雨雲が晴れていくように、心が(晴れたというより)す~っと広がっていく感じ。大きなため息が出ました。ここまで前だけ(というより主に下だけ)をずっと見て歩いてきたせいもあったのかもしれません。天気が悪いのに、ただただ「晴れ晴れとした場所」でした。えらく荒々しい石や岩ばかりの場所なのにね。修験者さんたちは、この場所で修験に励んだそうな。



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 雨がまた少し大きくなってきたので、高所恐怖症もどきの私は、更に滑りそうで、もっと降りていかなきゃいけない金門(そそり立つ岩を門と例えたものらしい)が見渡せる場所まで行くのはやめて、賽の河原が見渡せる場所で写真を撮りました。でも、撮りきれないんです、私がそこで感じている風景が…。なんか違う。こんなちっぽけじゃない。コンデジのディスプレイを見ながら思いました。この感じ、前にも覚えがありました。出雲大社の命主社にある、樹齢1000年以上といわれるムクノキを撮った時です。


ああ、そういうことかと思いました。その「強力なパワースポット」とかいわれる場所では、どうも私は見えている風景を写しきれないみたいです。帰ってから見た他の方の写真にはすごいのがあったんですけどね~。以前読んだ、「写真は誰が撮っても同じではない。その人の心根が必ず出る」という、写真家の方のインタビューを思いだしました。私は、ちっぽけだからね~そこで写真を撮るのをやめ、しばらく眺めていました。そして、思ったこと。またここに来たい。絶対に…。





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参道に戻り、また滑りそうになりながら大山寺との道しるべのところに出ます。そのころから強くなってきた向かい風の雨の中、私は傘をささずに杖のようにして突きつつ、頭をすぶ濡れにしながら急な坂を下っていったのでした。…修業者



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             必要なものは、この山が調えてくれる。


 
 いいコピーだな~。





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     下の2枚は、帰りに寄った大神山神社本社。古い町なかにある、穏やかな神社でした


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