(前回からの続き)
再び一人になって上がる石段は、写真で感じるほどは長くは感じませんでした。その段も、高いには高いんだけどとんでもなく高いというわけでもなかった。ところが、雨の、日本一長いという自然石の参道をここまでおぼつかない足取りで歩き、普通はそう使わない部分の筋肉を使ってきた私の感覚としては、一段が膝くらいの高さに感じました。傘を突き、「よいしょ~!!」な感じで一段ごとに上がります。ゆっくりゆっくり上がります。そして、逆さ門に到着。おかしな話だけど、ここは神社の中で一番ほっとできる場所でした。ここまでよりも、これからよりも。どこからか吹いてくる風も、快かった。
「そういうの」のわかる方だったのでしょうか。帰って数日してから見た、ここに来られた方のブログで、「このあたりで『気』が変わった」という方がありました。そういうのがよくわからない私にとっては、ただただ安らげる場所でしたねぇ、あそこは。少し休んで、小やみになって来た雨の中を、さらに進みます。そして立った石段の上。そこには、大きな社殿がありました。
今の社殿は文化2年(1805)、わがお師匠様・伊能忠敬60歳(おいおい)の時に建てられた、「権現造り」という神社の建築様式のもの。建物の中心から両側に建物が延びるこの造りは、この時どういうわけか、お寺に近い感じの建物だなぁと感じられました。伯耆一の宮もこんなタイプですが規模が違います。修験場が元だったからなのでしょうか(私に知識がないからそう感じるだけなのかもしれません)。そうそう。出雲大社の様式とは全く違う感じなんです。主祭神は同じなんですけどね~。
これも帰ってからネットを見たら、この社殿の両翼の部分の長さも日本一なんだそうです。とにかく大きい。ここに来る何月か前、意外に広いと感じた「波波伎神社」はくらべものにはなりません。威風堂々。その姿を見ながら、確かにこれが二の宮だわね~と、心でつぶやきました。
これも行く前に読んだブログにどなたかが書いてらっしゃったこと。「ここにはいい感じで全体の写真が撮れるところがない」。それを読んだときは、「意味がわかんない」という感じだったんだけど、「ああ、こういうことか」と思いました。大きすぎるせいか、けっして境内が狭いわけでもないのに、いや。かなり広いのに、立って全体の写真を撮るのにここが一番いいかな~っていうポイントが見つからないんです。もしかしたら、これは行ってみないとわからない感覚なのかもしれません。
その姿を眺め、その建物の中心にある拝殿へと向かいます。延々と、のろのろとやって来た私には、もう何をお願いすることもありません。「来させていただいてありがとうございました」。それだけでした(そうそう。そういえば、お友達のお母様の平癒はべっこにお祈りしたなぁ)。
たった一人の参拝客は、その右横にある社務所にいらした年配の神官さんから、母へのお守りなどと絵馬をいただきました。神官さんは、「絵馬を書かれますね。それを書かれたら…」とつづけて何か言いかけられたんですね。それなのに、それを遮って、「いえ。いただいて帰ります」と言ってしまった…。実は最近、仕事部屋のコルクボードに、お邪魔したところの絵馬を飾っているからなんですが、「それはそれとして、その時なんで言われることを最後まで聞かなかったんだろう」と今は悔やまれます。
これも帰ってから知ったこと。大神山神社では、絵馬は、社殿の中に上がらせていただいて、その中に奉納するようになっているんだそうです。多分、そのことを説明して下さろうとしたんだと思います。その拝殿の内部(といっていいのか、何といっていいのか)は、かなり見事らしいんですね。…っていうか、(拝見するだけのためには300円をお納めするそうですが)、大体神社の内部にお邪魔することなんて、御祈願でもお願いしない限りないことですよね(出雲大社は一度、遷宮の工事の前に見学しました)。そういうことを、たった一人でのんびりと出来るチャンスだったのにねぇ…。あ~あ(その3に続く)