『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

二の宮まいり~波波伎神社で~

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(前記事から続く)

 境内には人気(ひとけ)がありませんでした。社務所(なのか? あれは…。建物の役割がよくわからなかった)にも、人の姿は見受けられません。帰ってから見つけたブログで、「未来予知の強い力を持っていたというコトシロヌシ(知らなかった)を主祭神として祀る神社。荒魂が鎮まっているとも読んだので、是非とも御朱印をいただこう」と思って訪れたという方は、「ここは隣町にある神社の神官さんが兼務されている」と門前で会った人に聞いたんだそうです。「いらっしゃらない時は御朱印はいただけないから気をつけて」とブログに書かれていましたから、私がお邪魔した時も、こちらにはいらっしゃらなかったんでしょうね。

 二の宮といえば、一の宮よりは格下ということになるんだろうし、ここは二の宮といっても、そういう格付けが始まった明治時代に一度はさらにランクを落とされ、「これではいけない」という運動のもとに格上げされたという経緯を持つ神社だとは読んできましたが、それでも二の宮ですからね。まさか無人のときがある(むしろ、ここはほとんどが無人かも)とは思いませんでした。

 神殿に近づいていくと、原生林を上がっているときにはやんでいた雨が、急に降りだしました。それと、さっきの「はは」にまた出会ったらどうしようとビクビクしていたのもあって、撮り方は悪いし、全体を撮りきれてないんですが、そういう神社にしてはかなり広い神殿です。鳥取島根、いくつか見てきた中でも大きい方だったと思います。

 コトシロヌシさんの荒魂が鎮まり、一度は伯耆の総氏神となって、これだけの規模を持つ神社が何故こんな風(常駐の神官さんがいない)なのか、とちょっと不思議に感じました。まぁ、いろんな事情があるのでしょうね。そこまでを調べていく気にはなりません。

 常駐の神官さんがいらっしゃらないにしては、わりときれいにしてありました。ただ、やっぱりお手入れが行き届いているという感じではありません。父の旧友で、そちら方面の学者さんである方が、「神社のお守りやお札などを頂くときには、神社の格や人気ではなく、手入れの行き届いたところでいただいたほうがいい」と歴史系の雑誌に書かれていたのを思いだしました。そして、「ここは、たとえその日いらしたとしても、いただかないほうがいいとこなのかな」と思いました。



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 ただ、それでいて暗くない。お天気は悪かったけど、そこの空気が、です。建物も古いんだけれど、堅牢で、傷んだところも見受けられません(それなりに手が入れてあるのでしょうね)。さらに、ほったらかされてる暗さもない。不思議な感覚でした。まっ、上がってきた道が道だから、余計にそう感じたのかもしれないし、特別な力などないやつの言うことですから、さーっと聞き流してくださいね

 お参りしてから、ぐるりとお社をまわってみると、裏側でこんな看板↓が。、友達が言いました。「行ってみる?」。

 

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 迷いながら少しそちらに踏み出すと、また急に雨がひどくなりました。「やめよ」と私。「だね」と友達。やっぱり私は、そちらには行かない方がいいのかもしれません。。



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 雨もあって、ゆっくりゆっくり本来の道を下り、門と初めて出会った鳥居の前でご挨拶。さっき、神殿で伝えたきたばかりの言葉と、同じことを心でつぶやきました「お邪魔しました。必ずまた来るとは言えません。でも、来させていただいて、ありがとうございました」。