『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

二の宮めぐり~波波伎とは?~


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                           (写真はお借りしたものです)




 さて、お話を波波伎神社に戻します。

 神社の名前って、その土地の名前だったり、そこにいらっしゃる神様にちなんでいる場合が多いですよね。波波伎(ははき)神社もそうなんです。ここの場合は場所ね。ただ、狭いエリアではなく、全体の地名を名乗ってる。つまり、「伯耆」=「ははき」らしい。


  「ほうき」と「ははき」。どこが同じ?…という感じでしょ? それがね~、遠い遠い昔、「箒(ほうき)」は神事に使うものだったそうなんですね、どう使われたのか知らないけど。そしてやがて、民間でも使われるようになった。


  もちろん、それを使ってのお仕事はほこりやごみを掃き出すことだけど、掃き出す(たぶん、「出す」の方にかかってるのではないかと思う)ということから出産を見守る神となり、妊婦さんのお腹を新しい箒で撫でたり、出産時にそばに立てかけたりしたらしいんですね。つまり、母になる人を見守る母木神が宿る木。母木。だから、「箒」=「母木」。字こそ違えど、「ほうき」=「ははき」。…とまぁ、諸説あるうえに、説明しないとまるでわからないような理由なんですけどね。


 諸説…という中には、例のヤマタノオロチにかかわるものがあります。この前の記事に書いたように、「出雲国風土記」にはなく、「伯耆国風土記」に残されているのですが、ヤマタノオロチの生贄にされかけた「稲田姫」さんは、ご両親とともに山に逃げたというんですね。お父さんと若い稲田姫さんは逃げ足が速かったのだけれど、お母さんの方はどうしても遅れがちになる。


 そのお母さんに向かって稲田姫さん、「(ヤマタノオロチが追いついてしまうから)お母さん早く来て! お母さん早く! 早く来て…」と叫んだ。つまり、母…き…母木…と、まるで冗談のようなお話なんですが…。でも何か、ちょっとかわいい変化形


 そうそう。ヤマタノオロチは、漢字で書くと八頭(一度でも、それも漢字だけでもみたくないやつ…)と書くらしいんだけど、それ関連でもうひとつ。「ははき」語源には、苦手な私からすると、な説もあるそうなんですね。

これも遠い遠い昔のこと。人々はのことを、「はは」と呼んだそうなんですね。その時代の人たちは、木はその「はは」が起立したものだとしていた…そうな。「はは」自体、神聖なものと捉えていたそうだから、ありがたいものとされてたんでしょうかね。原生林に囲まれたここは、まさに「ははき」。…となるわけですね。いや。苦手な人は多いと思うけど、その「はは」の苦手な私は、その説についてすぐに却下!しましたけどね。

そんなこんなで、ご利益は、諸願成就・地域と家内安全・商売繁盛という波波伎神社は、伯耆の国の総氏神となったのだそうな(と~んと昔はね)。めでたしめでたし。