『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

神様も万能ではない~その3~

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 前記事の続きです。

 事務所本体の組織から切り離された彼らは、後輩君たちとの共演がなくなりました。それどころか、同じ歌番組(特番)に出ていても、「彼ら」がステージに立つ時には、そこにいた後輩君たちすべては退出しました(させられて…ですかね)。そんな仕打ちの中で、「彼ら」は、「彼ら」だからできるステージをくり広げていました。辛かっただろうなぁ…。いや、どんなにか寂しかっただろうし、悔しかっただろうと思いますが。

 さらに、彼らはそれぞれにラジオ番組を持っているのですが、様々な理由で局のスタジオが使えないとき、「彼ら」が使える部屋は、自分たちの事務所にはなかったといいます(そのための場所を提供してくれたのは、今も解散という言葉を使わない、「彼ら」の所属レコード会社、ビクターさん)。彼らの先輩の人たちには、必ず使える部屋があったそうなのにね。

 それどころではありません。昨年、「彼ら」の25周年のコンサートが、末っ子君のわがままで出来なかったという報道がありましたが(もちろんそれも嘘ですが)、それ以前に、20周年の記念のコンサートも「彼ら」はさせてもらっていないんです。「彼女たち」の言うには、「彼ら」は、やりたかったらしいのに、許されなかったというんですね。彼らには、それまで、事務所のこと以外にもいくつかの障害がありました。それでもついてきてくれた「彼女たち」に20周年のコンサートというプレゼントをどうしてもしたかったのでしょう。「彼ら」は何度も事務所に掛け合い、コンサートはできなかったものの、ファンファンパーティー(ファンミーティングのようなもの?)という,、たった一回の機会を得ます。

 ただし、すべては「彼ら」に丸投げ。準備もままならず、セットはその前日の某伝説の歌手さんのメモリアルコンサーとのセットをそのままお借りしたもので、演出も当時から「彼ら」のステージの演出をしていた末っ子君と、末っ子君の前は演出を手掛けていた長男君がふたりがかり、一晩で仕上げたといいます。そして、そのパーティーが終わった後、彼らは5つの出入り口にそれぞれが立ちます。「彼女たち」を送りだすために。

 当然事務所は大反対。警備も混乱を心配して拒否反応を示したそうなのですが、「彼ら」は、「僕たちのファンは大丈夫です」と言ってひかなかったと言います(どっかで、聞いたような…。、デジャブか…?)。「彼ら」は強行に及びました。そしてそれは、とても和やかで楽し気に終わったんだそうです。

 その時の様子が、何と私が半額で買った(しつこいか…)、彼らのシングル曲の映像を集めたビデオクリップのBlu-rayに収められていました(もちろんDVDにも)。スローバラードの『僕の半分』という曲に使われていたのが、その時のものだったんです。「彼ら」が「彼女たち」に向かって「じゃ、またね」と手を振る姿も最後の方に収められています。確かに末っ子君の大きな目は、徹夜明けみたいな真っ赤な目。ちょうど「彼女たち」のこの件のつぶやきを読んだ後でこれを見たものだから、「これか~」って、何かせつなくなったんですよね。すでに一昨年の終わりから場所も決まり、計画されていたという25周年のコンサートも、やりたかっただろうなぁ。この時の無念さもあっただろうし…。

 話は少しずれますが、今回事務所を離れるについて、下の3人が揃って事務所に挨拶に行ったそうです。ところが、会おうとした上層部3人は、揃いも揃ってお留守だったそうで…。行きますと話してあったでしょうにね。これはスポーツ新聞の記事ですが、「彼女たち」が事務所の御用新聞の一つのように言っていたところが書いている記事ですから、信憑性はある程度はあるのではないでしょうか。逆の意味でね

 結局、「彼ら」の一番で最大の味方で、そして存在理由だったのは「彼女たち」だったんだなと、改めて思います。だから、「彼ら」が「彼女たち」を苦しめ、傷つけるような方法で解散するわけはないんです。では、なぜそうなっているのか。次はそこを考えます。(続く)。