『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

「彼ら」生活のあらまし

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 さて、前記事の続きです。まずはおさらいの意味で、私の知らなかったことも含めて(…ってだいぶ知らなかったけど…)、今回は彼らのこれまでをざっとたどってみますね。

 約30年前の1988年、「彼ら」は、先輩グループのバックをやっていた少年たちの中から選ばれた、高校生2人、中学生3人、小学生1人の6人組のグループとして結成されます(後に、このときには中学生だった3人の中の1人が、オートレーサーになりたいという子供の頃の夢を捨てきれず脱退)。

 結成当時は、「ザ・ベストテン」をはじめ、歌番組が次々となくなっていった時期で、その3年後にCDデビューした「彼ら」は、そんなこともあってか、あの事務所のアイドルとしては(ある意味で)珍しく、3年間くらい曲を出しても一度も1位をとれないという状態に陥ります。

 ちょっと話はずれますが、デュオグループの「ゆず」は、一番年下のK君と同級生。学校は違うけれど、同じ横浜だったために、小学生のころから市主催の体育祭などで一緒になっていたんだそうです。その頃、すでに顔を知られていたK君。彼を前に騒ぐ子たちもいたそうで、収拾がつかなかったのか、そこにいた先生が、「こいつだって、一生懸命普通の小学生生活をやってるんだ!」みたいなことを言って、彼を守ろうとしていたのを見たことがある…なんて話をしていたようです。1位を取れなくても、彼らの知名度はデビュー前からあったそうですから、彼だけではなく、それぞれが普通の成長期を過ごしている子たちとは違う、かなり不自由な経験をしていたんでしょうね。

 さて、そんな中で彼らは、「何で1位をとれないんだ!」と事務所から責められるようになります。でも、説明なんて出来るわけないですよね。自分たちだって、わからない。そのころ、会場が半分くらいしか埋まらず、自分たちがステージで動けば、ファンの子たちも団扇などもって客席を端から端まで動いてくれるなんてこともあった…と、この間、星野源さんとの対談で一番年下のK君は語ってしました。目いっぱい、鼻っ柱を折られた時代だった…。

 でも、悪いことばかりではありませんでした。そういう、1位を取れない落ちこぼれ(?)的な事情もあってか、専属のマネージャーももつかず持て余されていた「彼ら」に対して、「私に預からせてください」と手を挙げた人がいました。彼らを大きく育てることになった、張本人。当時は事務員として働いていた「彼ら」の前マネージャーさんです。そして「彼ら」は、歌や踊りばかりではなく、バラエティからドラマまでをこなすようになり、これまでにはないアイドルになっていった(バラエティからドラマまでをこなすアイドルのレジェンドだということですね)…と、ざっとまとめると、こういう経歴になるようです。

 そのマネージャーさんを迎えてから、彼らはことごとく1位をとれるようになり、名実ともにトップアイドルとなっていきます。彼らにとってラッキーだったのは、彼らを引き受けてくれたマネージャーさんが、センスとアイデアをふんだんにもっていて、それを実現出来る人であったことと、音楽に堪能だったということ。彼らのアルバムには、アメリカの有名ミュージシャンがクレジットされていたりもして、それまでの既存のアイドルの範疇を越えた、彼らの曲のファンも現れるようになっていきましたから。

 「彼ら」の残した記録も、多々あります。 少しだけ挙げると―。

 昨年末最終回を迎えた彼らの番組は、20年にわたって高視聴率を続けた番組だったし、近く、その理由もわからないままに潰されることが決まった、いちばん年下のK君がつらい時も苦しい時も生放送を続けてきた土曜の夜の番組は、16年の長きにわたって放送されてきたし、深夜にもかかわらず、今も10パーセントの視聴率を続けている。曲が1位になったとかいうこと以上に、ミリオンヒット(100万枚以上を売り上げた作品)は、シングル2作品(調査によっては3作品とされているのもある。一作は言わずと知れた「あの曲」で、発売されて10年以上たっった昨年、前代未聞のトリプルミリオンを突破している)、そして、アルバムでもミリオンヒットが2作品(一作は、昨年末の25周年記念盤。これは発売されて最初の一週間で売り上げた枚数としては、世界一を記録している)。さらに、音楽の教科書には、何と4曲採用。これもないことですね。2002年には、一度のツアーにおける「観客動員数の日本最多記録」を記録。2003年の紅○歌合戦では、グループとして史上初の大トリを務めています。そうそう。国賓待遇での北京でのコンサートなんてのもありましたね。彼らが切り開いて来た道って、とんでもないものなんですよね。

 さらに、先日も触れましたが、わざと退社組3人の姿を画像から切り取ってその歴史(?)の特集番組を放送した、日○テレビの「2〇時間テレビ」は、長い歴史の中でいまだに「彼ら」の下の二人がパーソナリティーだったときが最高視聴率だし、(時代もあったのでしょうが)その募金額も10億を超えています。初めてTシャツのデザインをしたのも一番年下のK君だったし、違う色でもTシャツを作ることを提案したのも彼だった(そして、それが色違いのTシャツの最初となった。さらに、自分の番組のあるテレビ朝○にまで募金箱を持ち込み、番組に関係ないテレビ○日の関連の方にまで募金をお願いするという暴挙に出た。こういうこと、全くなかったことのようにしてあったそうです)。

 何より、うちの母でさえ、全員の名前はフルネームで言えるし、わかるし、顔を見なくても、誰の声だか聴けばすぐわかります。さらに、「あら、〇〇くん、最近うまくなったわねぇ。どうしたんだろう」などと…と言いだすくらい、認知度がありますよね。ごく一部のこれだけ挙げただけでも、「国民的アイドル」だといえると思う。というか、比較論だけど、そういえるのは、後にも先にも彼らしかいないと思います。

 こう書くと良いことばっかりのようだけど、もちろんそんなことはありません。というか、そこが私が一番?なところなんですが、次はそれについてふれていこうと思います。(続く)