『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

一言の重み

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 書こうと思っていたことをまた変更して、例によってたまたまネットで探し物をしていた時の話です。そういうときに拾った言葉が、思いがけず心にドスンと来ることがよくあります。そんな話…ね。

 この前は、世界遺産になった「○艦島」の話でした。それは、ある国がこの島を含むものが世界遺産になることを妨害しようとした…という話について書かれていたものでした。その島で働いていた人たちが、まるで強制労働させられていたようなその国の発言に傷ついたのだ、とその方は書かれてました。

 実は、それを書かれた方のおじいさまが、その島の炭鉱で働いていらしたんだそうです。その頃の様子を話してくださる時のおじい様からは、仕事はきつかったけれど、家族にいい生活をさせるため…とかいうばかりではなく、その仕事にとても誇りを持っていたのだと感じられていたそうなんですね。そのおじいさまの生き様を、その国の抗議(?)に汚されたようで、たまらなく悔しくてしょうがなかったんだと書かれていました。

 じいちゃんは、「やらされて」いたんじゃない。誇りを持って「やっていた」んだ!!

 その島が最盛期のころ、仕事は大変だけど、いろんな文化的な施設も整えられていた…というのは、どこかで見たような気がするんだけど(なんか、強制労働とは程遠いよね)、その人の、「じいちゃんは、誇りを持ってやっていたんだ」ってことばがね、なんか血を吐くような叫びに感じられたんです。血を吐くは言いすぎか…

 その中の一言に、ちょっと話は違うんだけど、あららと思ったことが、やはりその時代のことを読んだことでありました(いや。もうちょっと前の時代か…)。女工哀史…とかいう書物や、明治時代(?)、繊維産業に携わっていた女の子が、どれくらい奴隷的に働かされていたか…みたいな映画の話を前に何かで見かけて、その頃の女工さんはそんなに大変で、使う人は横暴だったんだって刷り込まれてしまっていたんだけど、「仕事時間は長かったけど、働いても働いてもまずしい農村での暮らしより、はるかに楽で、お休みもあったし、したいお買い物もできたし、帰る時には花嫁支度もしてもらった。周りはみんなそうだった」というその頃の女工さんの話にたまたま触れて、はっとしたんですね。そうだ。全部が全部、悲惨だったり、横暴だったりすることばかりじゃないんだ、って…。

 考えてみれば、あの世界遺産になった製糸場なんてね。すごい整った環境。職業婦人の走りじゃないですか…。時代の最先端ですよ。その人たちだって、女工さん…。それをどれもこれも一緒にして語れるわけはないよね。

 もしかしたら、もっと他にもそういうことがあるかも。同じよばれ方でも、いろんな人がいる。いろんな考えがある。いろんな生活がある…。たとえ相手が教科書でも、人から聞いた一つの考えに心を占領されないようにしよう…なんてことを、めずらしく神妙に思ったのでした。