午後ブルーレイのレコーダーに録りためたものを見ようとしたはずが、そこから転じて、ブルーレイやDVDなどのディスクを整理することになってしまいました。その中に、急いでたのか、後で書こうと思ったのかは覚えていないんだけど、何も印刷してないし、書いてもいない「これなんだろう」のディスクに、京都の嵐山にある、大河内山荘の特集が入っていたんです。
大河内山荘は、戦前戦後に活躍した時代劇の大俳優さん、大河内伝次郎さんというかたの別荘だったところ。そのお庭を気持ちよく歩き、そのあとお茶をいただきながら、その傍らで聞いた、「嵐勘十郎は女で財産を使い果たし、大河内伝次郎は山を買い取り、ここに財産を使い果たしたんだよ。すごいじゃないか。だからこそ、こんな場所をそのままに残せておけてるんだ」なんていう年配の方の話に、へぇ~と思ったのを思い出します(嵐勘十郎さんをもよく知らなくても…)。
その特集では、この別荘を作りだしたのは昭和16年(お庭は昭和9年ごろから始められたようです)。大変な時代で、当然反対する人があったけれど、「この時代だからこそ、これを建てる意味があるんだ」と譲らず、庭と建築のトップランナー(と言っていいのかなぁ。とてもすごい方たちのことです)と組んで、日本建築と和風庭園の粋を集めてそこを作りあげられたんだという話がありました。自分の勝手気ままで、でっかくてすごいのを作ってやろうと思われたわけではなかった。だから、所々に、いや、その全体に、ある意味では、たとえ他の所が焦土となっても、これを作っておけば、「日本の文化」を残しておける。だから、何としても今作っておくんだという強い決意があったんだ…というお話でした(結局、亡くなるまでの約30年の歳月をかけて、完成させることになります)。
その中で、「俳優は二度死ぬ」という話が出てきたんです(さっき調べてみたら、そう言ったのは、どうも松田優作さんらしいんだけど、彼は実際には「人間は…」と言っていたようですね)。
その一つの死は、もちろん命が尽きること。そして、もう一つの死は、忘れられること…。ここを訪ねる人は、私の様にこの方の作品を知らなくても、この気持ちのいい広大なお庭と、(私たちは入ることはできないけど)すんごい日本建築の粋を極めているらしいお宅に触れて、「こんなすごい別荘を作った大河内伝次郎と言う俳優が、かつていたんだ」というのを知ることになります。ここには、彼の作品のあれこれも展示してある所がありますから、それを見て、この人はこういう作品を作ってきた人なんだと知ることもできる。
ド近眼だったという伝次郎さん(と親しげに呼んでみる。それで、すんごい殺陣をやってらしたんですね)は、昭和37年に亡くなったそうだけど、彼はこれを残したことで、いや。これがある限り、その名を、そして、ゆっくり資料を見る気がある人には、その俳優としての生き方を、そして、その作品の一端を見てもらうことができる。つまり、俳優大河内伝次郎には、もう一つの死はないということ。彼は一度しか死なない。
俳優は二度死ぬ。一度は命の終わり。そして、もう一つの死は忘れられること…。いろんな複雑な想いに囚われる言葉でした。