『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

仏様の出張

先日、奈良の薬師寺の月光菩薩の素敵さを教えていただいたことで、ふっと思い出したことがありました。直接仏様の美しさの話ではないし、ちょっとオカルトっぽいお話でもあるので、あほかいなと思う方もあるかもしれないんですけどね。
 
これを読んでくださっている方の中にも知ってらっしゃる方があると思うんだけど、少し前に、さる国の盗人(ちょっとクラシックないいかだけど、何かぴったりな感じなのでこの言葉を使います)によって、国外に拉致されていった二体の仏様がありましたよね。その国では、仏像は祈りの対象ではなく、単に美術品としてしか見られないそうなんだけど、最近そのうちの一体だけがあちらの国から返されたときには、あったはずの指が一本折れていたとか。美術品の盗人としては、かなり雑な仕事ぶりです。
 
それに何より、美術品としてどう優れているかではなく、何代にもわたるたくさんの檀家さんたちが手を合わせてきた仏様を盗んでいく。その気持ちが理解できませんでした。だいち、そんな念のこもったものを盗んでいって、何の災いもないわけないじゃない…とも思ったんですね。まっ、信じるからそうなるわけで、そんな気持ちのかけらもない人にはどうってことないのかもしれないんですけど…。
 
あるとき、偶然その話になり、「人の願いのこもった仏様をとても盗んでいけない」なんて話になった時、ある方が言われたんです。「そうだよね。でも、それはあなたの想いでしょ?」って…。
 
その方のお話の「想いの主人公」は、盗人じゃなくて、何とその仏様。「仏像は、必ず開眼供養されている。そこで魂が宿る。そうすることで仏様になる。その上、秘境にあるような小さなお寺でも、長い年月の間で延べにすれば何十万人にもなるかもしれない信者の念がこもった仏様が、むざむざ盗まれていくと思うか」という話でした。
 
「むざむざ盗まれていくのでないとしたら、自ら盗ませているっていうんですか?」って聞きたくなりますよね? 「あくまでも、自分がそう思うだけだけど」と前置きをされてからのお話はこうでした。
 
聞くところによると、その連中は、必ずしもそこにある中で(美術的に)いちばん価値のある仏様を盗んでいっているわけではないそうだ。中には、「何でわざわざ寄りにも寄ってこれを?(どう見ても、盗むなら、これじゃないだろう」というのを盗んでいることもあるらしい。ということは、仏像なら何でもいいと思って入って来ているか、元々は、いちばん価値のあるのをと決めて忍び込んだものの、突然「こっちがいい」と気が変わったかだ、ということになる。
 
自分は後者じゃないかと思う。仏様の仕業だと思っている。仏様には、いろんな役割を持った仏様がある。その中には、あらぬ道を行くものを教え諭す、そしてあるべき道に引き戻す…。場合によっては、それを悔い改めるように罰を与える。そういう役割を持っている仏様もある。
 
 自分は、知られている以上に何体もあると言われている、盗まれた仏様がどの役割を持った仏様だったのか具体的に知らないけれど、仏像としていちばん値打ちのあるものを必ずしも盗んでいるわけではないということを聞いて、「ああ。そういうことか」と思った。調べてみると案外、なるほどと思える仏様がいなくなっていらっしゃるんじゃないだろうか。
 
仏様は、自ら出向かれたんだと思う。その者を正すために。それでも、自分に心を寄せ、信心をしてくれている人々のことを忘れておられるわけではない。だから、「仕事」がすまれたら、必ず帰ってこられるだろう。そう思っている。
 
とまぁ、こんな話です。
 
すごく宗教心が強いというわけでもない私でも、「なるほどね~」です。そういう考えもあるかと思いました。そして、その話を聞いて、そう言えばと思い出したことがありました。すんごい宝石を盗まれた芸能人さんが、「大事にしてきたから、時間はかかっても必ず自分の所に帰ってくる」と、妙に確信めいた態度で話してらしたっけ、って…。仏様だけじゃなく、宝石にも意志がありますか。石だけに…(おいおい…)。
 
罰当たりに盗まれたと思うと腹も立つ。でも、仏様がご自分の使命を果たすために出向かれたんだと思えば、「行ってらっしゃい! しっかり油を搾ってやってくださいね~。いい子にして待ってますから~~(をフリフリ)」って、気持ちになったりして…。
 
大事な仏様を盗まれたお寺さんや檀家さん、その仏様を愛してらっしゃる方の落胆は大変なものだっただろうし、そんなことじゃ気が済まないかもしれないけど、必ず帰ってこられると信じて、皆さんが安らかな気持ちでいらっしゃることが、たぶんその仏様の一番の願いではないかと思ったんですよね。

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           さすがにこれは盗めないだろうと思う霊山観音さん(京都)