『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

「飛び落ち」るのは「若い」から…じゃないような…

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 もっといい写真を撮っていたつもりだったのに、探してみると、自分ではこんなのしか持っていなかったことに気が付きました。清水の舞台の画像…。…って、「何で、いきなりこれ?」とお思いのことでしょう。らっきょ(う)を無事につけ終えたあと、思いがけない話を拾ったからなんです。そこから話はどんどんずれて、ここに至った…って、例に寄ってのことですけど…

 「清水の舞台から飛び降りる」って、思い切ったことをやるときのたとえの言葉がありますよね。それは、実際に行われていた「願掛け」だったことを知ってらっしゃる方もあると思います。あれね、清水寺の塔頭で、山内の管理役の成就院にある記録(日誌のようなこの記録は今も続けられているそうな)によると、生存率85.4%だったんですって。「へ~~。けっこう生存率高かったんだ~」と、そっちのほうを思った私ですが、一番多かったころには、2か月に1件くらいの割合であったようなので、その都度奉行所に報告する成就院さんにとっては、いい迷惑だったことでしょう。

 そのころは、「飛び落ち」と呼ばれたその飛び降りは、記録に残っている中でいえば、元禄7年(1694)以来、明治の初めに禁止されるまで、諭されての未遂を含めて235件。234人といいますから、あきらめたのは一人ってことですかね。もちろん、自殺志願ではなく、観音様に願をかけて飛び降り、無事ならその願いが叶えられると信じてのことだったというんですけど、高さ12メートルから飛び降りちゃったんですねぇ、その人たち…。高所恐怖症の私には信じられません。願をかけて、確かめるなら、本当にかなう場合は石が軽く感じられる…とかいう「願い石」を持ち上げるくらいが、私にはちょうどいいです(「この根性なし!」…by影の声)。

 …というのはともかく…、残されている記録で見ると、男性が女性の倍以上多く、年齢判明者では…という但し書き付きですが、20代が圧倒的で70%以上。40代になるとほとんどいなかったらしい…とまで読んで、ふっと思いました。「その時代の平均余命っていくつくらいだったのかしら?」って…。

 だって、信長は、「人間ごじゅうねん~~♪」と歌いながら舞ったって話があるじゃないですか。てことは、今と比べれば、半分あまりの長さだったってことでしょ? じゃ、その飛び落ちのころはと調べてみると、意外なことがわかりました。

 日本で平均余命が20歳を越えたのは、江戸時代の中期以降だというんです。ってことは、「人間50年~~♪」は、嘘じゃないの~ってことになるわけですが、まっ、それはそれとして、江戸と、生活自体が大変な農村部では、余命に10歳くらいの開きがあったようなので、江戸や京では30代としてみても、そのころの20歳代っていえば、今の60代くらいにあたることになる…。ってことは、「40代になると(飛び落ちる人が)ほとんどいなかった」って、そんなの当たり前ですよね。
 
 その時代の40代で願をかけて「飛び落ち」ようとする人って、どんだけ恐いもの知らずで若い感性の持ち主だったか…と今の臆病者の私は思ってしまいます。もちろん、今と単純に年齢を比較することはできないけれど、今でいえば、40代ぐらいの人がいちばん「飛び落ち」ていた…ということになりますかね。

 それにしても、平均余命が30歳を越えたのは明治になってからだというし、平均余命20歳っていえば、江戸時代ならきっともう死んでるし、私… 今の「あの子」だって、元禄頃なら大年寄ですがな…。いや、きっと生存してないでしょうね。かの国は、併合時でさえ平均余命24歳だったといいますから。日本の明治時代で江戸時代の中期ぐらいの平均余命だっということですからね。ちなみに、併合されてからの30年で、平均余命は倍の年齢になってるようです(総督府調べ)。