『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

今年いちばんの驚き~千利休の謎~

テレビに登場するニュースや情報を、そのままに信じてはいけない。それは、「あの子」への報道を見ていて気づいたことでした。「あの子」関係だろうが政治の問題だろうが、あっちもこっちも同じことをそろって報道しているときはたいていが嘘(言ったり書いている側の誰かにとって都合よく流れを持っていこうとしている)…とかね。これは、もう信念に近い想いです。かと言って、それなら、どこかだけが書くときは本当か…といえば、そうでない場合もある。だから、自分の目での検証…っていうのほど大事なことはないんだなと思っています。でも、思い込みってあるんですねぇ、まだまだ…。いや。そう教えられた、とか、そう聞いた…ってことについての思い込み、ね。
 
今年一番のびっくりは、実は、高々10年くらいの間だけど、茶道をやっていた私にとって神に近い存在である利休さん(千利休)の死についての話だったんです。
 
千利休near私の神説。その想いは、以前お話ししたことがありましたが、利休さんがお茶の精神を教えるために作ったと言われる「利休百首」の中にある、「物を置くときには、いとしい人と離れるがごとくに置きなさい」…っていう内容の句に、それこそグッと来たことが始まりでした。
 
「物を置くときには大事にそっと置きなさい」で済むところを、「いとしい人と離れるときのように」っていうようなたとえを使うあたりがニクいじゃないですか。いとしい人と離れる時に、相手を突き飛ばしたり、放り出すようにしてさよならする人はいない。離れがたく思いながら、少しずつ離れていくだろう。これほど身にしみてわかりやすいたとえはないわ~、ってね…(「あの子」と会った時のことを考えてみて。そこっ、会ったら離れない…とか言わない! とりあえず離れなさい。あと、また考えるから…)。
 
それがお稽古をしていく中で、「お茶の作法には無駄がない(すべての動きに理由がある)。そして、どんな場所に出ても、茶道で覚えた作法で問題なく乗り切れる…。茶道ってすごい!」と感じるようになったことで深まっていったんですね。その利休さんの死の背景が違ってたかも…って話なんです。これは、まだ自分できちんとした検証はしていないので、こんな話があった…ということで聞いといてほしいんですけどね。
 
利休さんって、豊臣秀吉の命で切腹した。で、どっかの河原でさらし首になった…って思ってなかったですか? 私はずっとそう思っていました。それは何度もドラマなどで登場していて、しっかり頭にこうこうですってストーリーが出来上がっていたからでした。
 
ところがこの秋、たまたまテレビをつけたときに流れていた番組で、びっくりするような話に出会ったんです。その番組は、利休さんのゆかりの地を巡り、千利休というひとを知ろうとする番組でした。その中に出てきたのは、利休さんは切腹してないと思える資料があるということでした。
 
詳しく言うと、利休さんは、京都の大徳寺の山楼に自分の像を置かせたとかいうことで秀吉さんの怒りに触れ、京から堺に蟄居(軟禁のようなもの)を命じられ、その2年後に切腹をした…ということになっているんだそうですね。まず、ここでびっくりです。ドラマなどでは、秀吉さんは一時の、瞬間湯沸かし器のような勢いですぐ切腹を命じたように描かれていますが、それから2年後に切腹をさせるっていうのは、長すぎません? その瞬間湯沸かし器状態が2年続いたというんでしょうか。
 
瞬間湯沸かし器さんって、案外時がたてばケロッとしていたりしません? いや。まず、その時に切らせてるはず。ところが、切腹させた…となってるのは、それが2年後?
 
 ここで一つの資料が出てきます。秀吉さんにも近いお公家さんが書いたものなのですが、その中に、「利休が京から逃げたという噂だ。その利休の像が、一条戻り橋でがれきになっているそうな。なんだ、これ。不思議な話だ」っていうような内容の話が出てくるんです。切腹した…ではなくて、逃げたって噂されてるって書かれている。で、その後、利休さんが切腹させられたという話は、その方の書かれたものの中に一切出てこないらしいんですね。
 
 それどころか…です。利休さんが切腹させられたとされた年から2年後、秀吉さんは大政所―ねねさんに、「利休と酒を酌み交わしたんだ~」って手紙を送っているんですって!
 
 秀吉さんが、自分が切腹を命じた相手とお酒を酌み交わす? 亡者を見たか、秀吉殿~~と言う感じですが、彼がソヨンのように「どうかしちゃった」のでなければ(意味がわからない人。ごめんなさいね)、その2年後に利休さんは生きていた…ということになります。それも、秀吉さんとお酒を酌み交わした…。そして、そのことを秀吉さんが、奥さん宛の手紙に、ある意味うれしいことのように(?)書くような関係だった…ということになる…。
 
何だか、とてもショッキングで、面白い謎をいただいたという気がしました。今年はそれを追いかけることはできなかったけど、こう思ったということは、いつかはそれをもう少し自分の目で深めることができるだろうと思っています。利休さん、謎の人です。
 
 
 
 
 
利休さんの京の屋敷があったのは、晴明神社のある所です。
 
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