『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

スサノオさんって、どんな人なんだろう~’14 夏の出雲詣で~

 日御崎の名前が行く先々に見えてくるようになると、段々とそこが近づいてきていることが感じられます。どんなところなんだろう。ワクワクしてきました。
 
 今回、スサノオさんは困ったちゃんな暴れん坊…という、一般的な筋立てでお話しているんですが、特にそういう筋の能力があるでもない私は、実はスサノオさんにちょっと違う感じを受けています。
 
 母の病気がよくなるようにと、友だちに聞いてお参りに行った、地元の神社と出雲大社以外のもう一カ所、熊野大社(島根のです)。ここは、やはりスサノオさんが主祭神になっている神社で、そこで感じたおおらかな明るさがスサノオさんの持つ個性なら、一般的に言われているスサノオさんのイメージとはちょっと違うな…と感じているんです。
 
 もっと大きくて暖かい…というか、理由なく狼藉(時代劇か…)を働く神様ではないと感じたんですね。どういうわけか…。
 
イメージ 1
                             ここが熊野大社です。
 
 となると、あの「立てこもり事件」は、何かの別の意味のあるパフォーマンスか何か…。とまでは言わなくても、とにかくアマテラスさんも、スサノオさんの性格をわかって、それにつきあってらっしゃったんじゃないかしら。そう考えると、ここで「ご一緒」のわけも分かります。
 
 そういうのも全部人間が作ったことなのかもしれないとも思うけけど、こういう神域というのは、それ以外の所と違う感じを受けるものですよね。そう。出雲大社の、スサノオさんのお住まい―素鵞社(そがのやしろ)のある所なんで、気持いいったらありませんから…。まっ、それは私が勝手に感じてるってだけの話なんですけどね…。
 
熊野大社で思ったスサノオさんについてはここに↓
 
 
 
 
 海の景色を臨みながら時々曲がりくねる道を進み、「竜宮城」とも呼ばれるというのはこの景色かなという全体の姿を車窓から眺め(楼門が工事中で、残念ながら工事のためのシートをかぶっている部分が多く見える姿でしたが)を眺め、とうとうその工事中の楼門の前にたどり着きました。
 
イメージ 2
                    シートをかぶっていましたが、ほんとならこんな姿。
 

 そういえば、(帰りの時間のことを考えてとかいう理由だとしても)一般的に多い出雲大社→日御崎という道筋をたどるのではなく、熊野大社→日御崎神社(→出雲大社)という道筋をたどる人は、スサノオさんに呼ばれた人だ…ということなんだそうです。春、母の病気平癒のお願いに最後にうかがったのは熊野大社で、今回の最初は日御碕神社ですが、私の場合、さすがに間があきすぎているので、それには当てはまらないでしょうけどね。
 さて、そのお社との対面です。