『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

まずは、出雲大社へ(追記あり)

 初夏かと思うような晴天の下。今回の出雲大社と熊野大社のお参りは、出雲大社から始めました。遷宮前から多くなっていた参拝客が、今もかなり多いと聞いていたことと、春休み中であることを考えて、早い目に家を出て、まずこちらからお参りすることにしたんです。
 
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ここは、本殿。 
 
 平日でもあったので、大変な人出というわけではなかったのですが、大学生くらいかなぁ。やっぱり若い年齢層が多かったですね。それに継いで多いのが、40~70代前半くらいの個人客層、そして、年齢さまざまなバス旅行客…という感じかな。もちろん、地元の方らしきご老人の姿も見えました。そんな方々に交じって、私もそっと手を合わせます。「どうぞ。母の手術が無事に終わり、快い旅に連れて行ってあげられますように!」と。
 
 同じ時に手を合わせていた若い年齢層、特に女の子たちにとっては、縁結びのお願いだったでしょうね。その縁結びには、もう一つ、松江市にある八重垣神社とセットで回るのがコースのようで、通り過ぎる子たちから、「八重垣神社が…」というフレーズがずいぶん聞こえました。
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このしめ縄の重さは、何と4.4tらしいです。
 
 話は少し変わりますが、この八重垣神社では、縁結びをお祈りして、境内の奥にある池に、社務所で買った占い用の紙(和歌が書かれていたような、…???)を浮かべてコインを載せ、その紙が沈む場所と時間で、願いがかなうタイミングや、どういうかない方をするか、そして、かなうかどうか自体を占う…というのがあります。それがよく当たると評判で、こちらもかなりにぎわっていると聞いています。
 
この紙の占い、おかげがないとは言いませんが、たとえば、コインを勢いよく置くとか、紙の中心よりコインをずらして置くことで、紙が沈むタイミングを早くすることができるんですよね。もちろん、純粋にお願いに来ている子達はそんなことはしないでしょうが、そのあたりを知ってて故意にやれば、紙をすぐに落とすことは簡単だな…と、20歳くらいの時かなぁ、その近くまで用事で出かけたときに、八重垣神社に寄って、その占いをやってみて思ったことがありました。だから、早く沈んだから、早くかなうとは思えないんですよね。真摯に祈る気持ちが、それを教える。そういうことなのかもしれません。私のヒラメキが不純だったんですかね…。ええ、多分そうですとも…(T.T)。
 
話は、大社(おおやしろ)に戻ります。実は私、昨年も遷宮の後に一度来ているんです。その時には、きれいになってるのは本殿や拝殿だけで、ご存じ(?)神在祭(かみありさい・旧暦の10月)のときに八百万の神々がお泊りになるという十九社や、オオクニヌシさんの先祖であり義父でもあるスサノオさんのお社などは、前と変わらず苔の生えた屋根のままだったりしていたので、「そうか。遷宮のお化粧直しっていうのは、本殿と拝殿だけで終わりなのか」、と思っていたんです。
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ところが、今回行ってみたら、私が感じる限りでは一番気持ちのいい空間―本殿裏あたりにある素鵞社(「そがのやしろ」。スサノウさんのお社)は工事中で、十九社の隣にある摂社の釜社(「かまのやしろ」)に間借りしてらっしゃるじゃないですか(拝殿から向って両側にある十九社。左の十九社は工事中でしたが、右手にある十九社には、やはり間借り中の他の神様がいらっしゃいました)。
 
遷宮というのは、「全部きれいになりました。はい、終わり!」ではなくて、拝殿や大事な本殿をきれいにして、オオクニヌシさんの御霊にお移りいただいたあと、段々に境内にある摂社をきれいにしていくものなんですねぇ。
 
そうそう。その間借り先で、思いがけないものを耳にしました。その釜社に…というか、スサノオさんに、若い神官さんが果物などの供え物をされ、お祈りをささげられるところに出会ったんです。 
 
「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)守りたまい 幸(さき)わいたまえ」
 
笛と太鼓が奏でられる中で、私が見ているだけで三回繰り返されました(それまでにも唱えられていたかどうかは不明)
 
それは、オオクニヌシさん系の神社で唱えるものなので、ここの神前ではそう唱えたらいいと言われた言葉でした(結局言葉を忘れてしまって、やってなかったんだけど…^^;)。神官さんは、それとは違う言葉を唱えられるのかと思っていたんだけど、こういう場合は同じなんですね。ただ、こんな節回しで朗々と唱えられるのかという風だったので、それに聞き入りました。私のそばには、そっと手を合わせる子も。やっぱり、みんな立ち止まりますよねぇ…。
 
この言葉は、思い悩むオオクニヌシさんの前に、日本海から光る球(これが幸魂・奇魂)が現れ、こういってお祈りされたことで大変な力を与えられた…という話にちなむものだそうです(と、端折って大体を説明)。
 
幸魂は、運によって人に幸を与える働きがあり、奇魂は、奇跡によって直接人に幸を与える働きがある…と聞いたような…。いや。境内にある像の前にそう書いてあったのかも…。
 
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これが、オオクニヌシさんの前に現れたという光る玉の姿を形に現したものです。その前で祈るオオクニヌシさんの姿とともに境内にあります。間違っても、これを◯玉などと呼ばないように(失礼しました~ーー;)
 
ところで、遷宮は新しい気が満ちていくとき…と何かに書かれていたけれど、すっと背中をやさしく押してくれるような、そんな気持ちよさを以前より感じないのはなぜでしょう…(昨年も、それは言いましたけど)。そこに漂う気持ちのいい空気も、薄く広がっているように感じられて…。まっ、私の感じなんて、大したものではないし、前の遷宮の時は生まれてませんからね。遷宮の時期って、元々こんなものなのかもしれません。
 
それに、交通機関が発達している今は、いろんなところからの言葉が聞こえてきます。オオクニヌシさんも、昔よりお忙しいですよね。
 
 
 
 
 
〈追記〉
絵馬を書いて、奉納してきました。そこにあった絵馬の言葉です。「ぼくのじんぞうがよくなって、みんなとあそべますように」…(一度は漢字にして記事にしちゃっていましたが、書いてあったそのままに、ひらかなに直しました)。可愛い字でした。関東の方からはるばる出雲まで来て、彼はどんな風に、これを書き、そしてこれを掛けていったんだろう。何だかんだ言ってますが、ここはこんな想いを受け止めてくれるところでもあります。