『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

遷宮:出雲大社~その3(さて、何が変わったのか)

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ここの柄杓はステンレスだったような…。遷宮のお客様へのおもてなしなんでしょうか…。
 
境内に向かって左手にある、手水舎で手と口を清め、境内に入ります。私はつい最近まで知らなかったことですが、この銅の鳥居に触ると、お金が入ってくると言われているそうです。確かに皆さんの手が当たるような高さのところが、剥げています。ということは、皆さんご存じなのでしょう。私が知らないことは、まだまだたんとありそうです。
 
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さて、鳥居前からご挨拶して、境内に入ります。たいていは、このあたりから強くて優しい感じの気が背中を押してくれる気配がし出すんですよね。ところが、この日は、な~んも…というか、なんか全体的にポワンとしてました。
 
 
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境内には、そうだなぁ…。例年なら、お正月の三ヶ日が終わった頃の感じですかねぇ…。遷宮が5月に終わったとはいえ、6月半ばでもそれくらいの参拝客がいらしていて、まだまだにぎやかです。聞こえてくる言葉の感じからすると、お近くの方は少なかったようでしたが、北関東の言葉が団体で聞こえてきた時には、さすがに、「遠くからようこそ~」と思ったものでした。遷宮って、やっぱりすごいです。
 
 
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何が変わっているか、パッと見てわかるのは屋根です。いくら遷宮と言っても、作業の間の仮のお住まいこそ作られますが、(伊勢)神宮と違って、大社はまったく新しい拝殿が作られるわけではありません。神殿の傷んでいるところを直して、屋根をふき替える…という形なんだそうです。もちろんその内部は見られませんから、私たちが見られるのは、全面的に変わった屋根だけなんです。屋根の部分の高さというか、檜皮葺きの部分の一番幅が広いところは、1メートルくらいあるらしいんですが、下から見る限りはそんなにあるところがあるようには見えません。
 
 ただ、大社の並びにある出雲古代歴史博物館に行ってみると、それをおぼろげながら感じることができるかもしれません。ここには、遷宮で換えられた以前の千木(わかりやすくいうと、屋根の上の方についてる、バッテンの様になってる木です)が展示されているんですが、まじかでそれを見ると、かなりに大きいのがわかります。下から見上げている分にはそんなに大きいとは感じないその千木ですから、やはり屋根の高さというか幅も、それなりだな~と思えますから。
 
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                これが6年前の屋根。
 
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角度は違いますが、これが7年前の屋根。
 
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で、これが今の屋根です。
 
 話は少しそれますが、神宮の遷宮は、もちろん神様への想いがあってこそですが、神様のお住まいを作る「技術の継承」という意味合いもあるそうですね。神宮は20年に一度なので、それが可能でしょうが、大社の場合は60年に一度ですから、それが難しい場合もあるようです。実際今回は、前回の作業に従事された方がほとんどいらっしゃらなくて、以前の設計にかかわるものを参考にしたり、技術のあれこれを学んで来たり…と、かなりのご苦労をされたようです。それでも次回、今回のご苦労がまた資料として残るわけですから、それなりに継承されているって言えるのかもしれないですけどね。
 
実際、伝承の資料とまったく同じところから、図面通りの、遠い昔の神殿の柱が出土したと言うこともありました(この柱も、出雲歴史博物館で見ることができます)。昔の資料、侮れません。ちゃんと正しく記録されてるんです。これを続けてきた先達ってすごいですよね…。
 
そうそう。これから月末までに行こうかどうしようかと迷ってらっしゃる方にお知らせ。今、お正月しか開けられていない門から、本殿近くまで行ってお参りすることができますよ。630日までと案内板に書かれていました。ご参考までに。またまたそんなことを知らなかった私は、それを見て、思わず「ラッキー…」とつぶやきました。
 
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