『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

ライバルが歴史を作る?

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夜、コーヒーを飲みながら何気なくテレビをBSにあわせたら、歴史を追いながら、徳川家康の側近だった二人の僧侶、南海坊天海(実は、生きていた明智光秀ではないかと言われてるお坊さんですね)と金地院崇伝の比較をしている番組に出会いました。その番組は、ライバルといわれた歴史上の二人を比較する番組のようで、来週は明治時代の政治家さんを比較するらしいです。

今夜の二人のお坊さんの話、結構面白かったんですが、何の脈絡もなく、ふっと思ったんです。よく「ライバルがいるから成長する」とか、「ライバルがいたから、歴史に名を残す人物になれた」とか言いますよね。で、「あの子」のライバルって誰?って…。

実は私、作品はともかく、昔の彼の周りのことをよく知らないんです。だから、誰かと比較されたり、ライバルと言われていた方があったのかさえ、わからないんですよね。

最近のことで言えば、ほかの三人さんとあわせて「四天王」とか言われたことがあるのは知っていますが、少なくともライバル…という感じは受けていないんですよね、私は…。

この国での認知度は、下手なアイドルよりある彼です。考えられるライバルがいないとすれば、「ライバルがいなければ名を残す人物になれない」とは言えないんじゃないかしら。まして、「ライバルがいるから成長する」っていうのはどうよ、です。もし世に言われることが事実なら、そして、あの子に並ぶライバルがいたら、今どんな化け物(もちろんいい意味で)になっているんでしょう。

まっ、それはともかく、ライバルがどうとかいう考えの下にいる人ではないような、いようがいまいが関係ないような…。な~んか違うぞと感じるのは私だけでしょうか。






※書き直したときに出来た字抜け、2箇所ほど直しました。