どうせ「気」を使うなら(ちょっと加筆あり)

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我が家の流し台の前の窓から、猫の額ほどの裏庭が見えます。

高さもある東向きの窓なので、屋根の傾斜や日の差し方で、これから6月までが、強い太陽の光が一番部屋の中まで入ってくる時期なんですね。なので、窓枠に取り付けたロールカーテンをいつもより低めにしてその光を押さえることになります。


そうすると、意外な効果があるんです。その空間から見える庭のモミジや花だけに目が行く分、葉っぱや花に差す日の光が、いつもより余計にきらきらして木や花たちが、意志をもって輝いているように見えるんですね(もしかしたら、実際にあるのかもしれないけど)。小さく区切った場所だと、凝縮して風景を見ることになるからかもしれません。

話は少し変わりますが、以前、亡くなった父が抗がん剤治療を拒否したという話をしたことがありました。そのときに、それなら別の方法はないかと、ネットであれこれ調べた時期があったんですね。

結果として、末期ガンから生還された方はあるようです。方法は色々のようですが、その方達の文章からは、「生き続けるぞ!」だったり、「元気になってみせる!」とかいう、尋常ではない強い意志を感じました(私なんか、ちょっと風邪をこじらせただけで、しな~っとなってたのにね)。

もちろん、自分で「それ」を受け入れるというのも選択肢のひとつだと思っていましたが、「気」は病んだ体を癒すくらい力を持ってるんだなと、その体験談を読んで思いました。理屈じゃないんですよねぇ…。

強い想いのこもった言葉も同じです。それが発せられた時点で、それは凶器にもなる。たとえば、それが誰かのひどい言葉や、やり方や、嘘やに対抗してだとしても、同じように言い返してしまったら、自分も同じ輩になってしまう(案外気がつかないんですよね。そういうときって、自分が切り取った世界でものを見てたり、目の前のこと以外に、何か心の中に押さえてたりするものがあって、それゆえに反応しているってことに。私にも、そういう覚えがあります)。

黙ってろとは思いません。でも、やり方があるよね、と思うんですよね。愛がなければ、それはただの凶器です。ずっとやり合う泥仕合になります(人の数や範囲が大きければ場合は、戦争にまで)。そんなの、どちらにもいい事はないです。

誰かじゃないけど、復讐は無関心という抵抗もあるんじゃないかなぁ(今思うと、あれは深いな~。マザー・テレサも同じようなことをいわれているようですね)。相手にしないで、自分はこうだと示す…とか。まっ、これは時間のかかる力業かも知れませんけどね…。

毒にも薬にもなる気。どうせ使うなら、キラキラ輝く葉っぱのように、癒したいよね。

そうそう。投げたものは帰ってくるらしいです。どこからか、かわからないけど確実に自分に(エネルギーの法則)。愛満タンの「あの子」にも、ちゃんと愛はもどっているでしょうか。


…なんて、訳がわかんないかもしれない、ちょっと堅いめのひとり語りでした。




※今日はとても素敵なものを見てきたんですけど、とりあえず、朝書いていたのを先に。