『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

都市伝説…かも

イメージ 1

今日は、信じるのも信じないのもあなたしだい…という都市伝説のような、ちょっと怪しい話です。

我家の近くに、お地蔵さんのお堂があるんですね。そこにある3体のお地蔵さんには、どれも首がありません。はるか昔の話なのでホントかどうか分かりませんが、最初から落とされている(つまり首がなかった)と言われていて、ちゃんと「○○地蔵」という名前がありながら、「首なし地蔵さん」と呼ばれるお地蔵様なんです。

時は戦国時代。秀吉の毛利攻めのとき、その戦いの舞台の一つになったこのあたりには、戦いが終わった後も、たくさんの武士の亡がらが雨ざらしになっていたいたといいます。それをかわいそうに思ったこの辺りの人たちが、その武士達の首を集めて埋めてあげたのがその場所で、しばらくの間首塚と呼ばれていて、そのあとお堂ができ、お地蔵様が納められた…というのですが、そこを掘り返してみた人はいないので、ほんとうに首塚だったのかどうか、その真偽は分かりません。というか、その時代のものなら、掘ってみてももう土に返っているんじゃないでしょうか。

この話は、そういうことに詳しかった祖母からごく幼い頃に聞かされた話です。このことを知っている人はだいたい母の年代まで。それも、新しく越してこられた方たちが多くなった今では、ほとんど伝えられなくなっている話なんですが、ただ一つ。このお地蔵様には、今でも続く一つの決め事があるんです。これはある意味とても楽なので、新しい方たちからは理由も聞かず、「ああ。そうですか」と喜ばれているそうなんですが…。

それは、年に一度お寺の縁日にお経を上げていただく日以外は、このお地蔵様のお堂のあたりをいじらないこと、なんです。そのときの掃除のとき以外には、お花もお線香も立てないという徹底振り。それをあれこれすることで、たたりを受けるから…というありがちな話があるからなんですね(実は、これも語られなくなっています)。

このあたりに古くから住む人たちがこれを守るのには、理由があります。「そんなことをいってもかわいそうだ」と、毎日のようにお花を立て、お線香を上げされていた家に限って、ご家族が大変なことになっていかれるのを目の当たりにしてきたから、らしいんです。それも一軒だけではなく…(その中の一軒のことは、それにかかわりがあるかどうかは別として、私も知っています)。それゆえに、祖母はまだ幼い私に繰り返し、この迷信かと思えるような話を伝えていたんですね。「だから、絶対にお参り行くな」と。

実際に見て知ってらっしゃる方もあるでしょうが、時々京都を訪れるようになってから私は、ビルの谷間やビルの中に小さな古いお社がそのままに残されていたりするのをいくつも見るようになりました。そのことで、そういう「言い伝え」が京都のような大きな都市でさえ当たり前に生きているということを知ったんですよね(京都だからかも)。そして、迷信だろう~と思っていた私も、いつからか「それはそれでいいのかもしれない」と思うようになっていたんです。

去年、このあたりに新しい道路の話が出てきました。新しい市街地政策ともいえるその計画は、なんとそのお堂すれすれに(つまり、そのその敷地を取り込んで)道ができるというものだったんですが、数日前、その計画の変更が発表され、お堂の敷地は今のまま守られることになりました。それは、「そのこと」がお役所の耳に入り、お役所がびびったたからではありません。世に偶然はないといいますが、その「偶然」というのの産物です。それでも、遠い先のことは分かりませんが、これでしばらくはこのままでしょう。

こうしてみると、大事にされてないかのように見えることが、むしろ大事にされているということになる。そういうこともあるんですね。お参りしない私は、そんなことを思いました。そしてこれからも、お参りはしません。