『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

おもしろいな~^^;。

イメージ 1

タイトルを見て、「何が?」と思ったでしょ^^。そう。ある人たち以外には、そうおもしろい話ではないかもしれません。いや。私だけが、おもしろいもんだな~と思っているのかもしれません。

このところネットでは、「ある国」のドラマや映画、音楽を愛する人を、やれお花畑だの、何も知らないで利用されているだのと、馬鹿にしたり、批判したりする人たちがいるようです。一時よりは落ち着いた感じですが、しばらくの間、特に選んで読もう、見ようとしていなくても、そういうのに「出会ってしまう」ことがよくありました。

そんな中でおもしろいことに気がつきました。それは、その人たちの多くが、それを愛する人たちが「何も知らない」だのなんだのと言っていることの多くは、「ある一部の人」にとっては、とうに「知っていることばかりだ」ってことなんですね。

もちろんその出来事のあれこれは、かなり不愉快だし、「認識が間違っているのはそっちじゃない!」と言いたくなることがほとんどなんだけど、それとは別の想いもあるということに、そうネットに書き込む人たちは思い至らないんでしょうね。いや。それでもいいんですよ、ほんとは…。人の数だけ想いはあるんですから…。

話はちょっとずれますが、かねがね変だな~と思っていることがあるんです。その国の学校で教えられることを真実だと思うことが、○日ということになるんだろうかってこと。違うんじゃないかなぁ…。たとえば、よその国の国旗を燃やしたりするのは言語道断だし、かかわりない公の場所で、「政治的に」その島をどこの国のものだと声を上げ、パフォーマンスすることには、あまりに非常識だし、そう言われてもしょうがない部分もあるとは思いますけど…。それとは違うでしょう?

自分の立場からいうと、こんなことがあります。今はないのかもしれませんが、私は学校の歴史の時間に、「(先の戦争のとき)連合国は、歴史的建造物を守るために京都奈良への爆撃を行わなかった」と教えられました。そして、つい最近もあるテレビ番組「そこまで○○○委員会」の中で、そのことが事実のように言われているのを目の当たりにして、びっくりしてしまったんです。「何でも知っているかのように政治や○防のあれこれを語っている人たちが、それが間違っているってことを誰一人知らなかった」ってことに…(そこから、この番組に出ている人たちの話への信頼度は、一気に下がりました)。

京都には爆撃が行われています。それも清水寺の近くに。凍てついた真夜中のことで、亡くなった方や怪我をされた方もかなりあったようです。そして、それどころか、京都は次の原爆の候補地になっていたんです(50年ぶりに公開されたアメリカの機密文書で確認されたこと)。それに反対する意見もあったようですが、候補地となっていた…ということは、戦争が終結していなければ、京都は今の姿をとどめてなかったかもしれないということです。歴史的建造物を保護するためにそうしなかったと言うのは事実ではなく、誰かにとって都合のいい嘘だったということです。まして、爆撃の話を知ったのは、そのこととは直接関係のないある産業の史実を扱った本の中でだったし、原爆の候補地の話を知ったのも、某放送局のニュースの中でだったし、「あれは間違っていた」と公式に伝えられることなど一度もなかったんですよね(それを思うと、あの番組の人たちが知らなくても仕方ないのかな)。

それが、とてもショックでした。そうだと信じていたからです。それとおなじことは、どの国でもあることでしょう。いや。あの国のあれこれを見ていると、こちらよりそういうことが多いだろうと思います。そう教えられ、そしてそれを信じていることが、イコール反○ということにはならないんじゃない? だって、学校で教えられたことが嘘だと知った私が、○米とか反○だと言われも困りますから…。なんでそうなるの?って思いますもん。

さて、すんごく回り道をしましたが、「ある一部の人」にとっては、とうに「知っていることばかり」って話にもどしますね…^^;。

思うんだけどね、たぶん「その一部の人が愛する人」が、その人たちにとっての単なるアイドル(偶像)じゃないからなんだろうな~って思うんです。もちろん、理屈抜きにその人が、そして、その人の演じる姿が好きって人もあるだろうし、それはそれでもいいと思うけど、「人としてハマった」人が多かったということが、すごく大きかったんじゃないかしら。

だからこそ、それまで知ろうともしなかったその国を知ろうとしたし、その国のありようを学んだ人もいたし、ことばを学ぶ人もいた(それをすべて肯定するということではなく)。さらには、その国の中でその人が、あの笑顔の裏で、自分らしく底知れぬ頑固さ(笑)で、「その国では生きにくい生き方」を貫いてきたようだ、ということも知った。あの国の多くの報道が、どれくらい創作に満ちているかということ。そして、この国の中でも「作られた報道」がいかに多いかということも、目の前の現実と比較してわかった。それはすべて、彼によって知らされたことでした。

つまりは、そういう事々を期せずして「知ってしまって」いるんですね。だから、この頃のあれこれを見ていて、心配することはあっても、そんなことだったかと改めてショックを受けることもない。何より大事なこと。それは、彼を知ってからの長い時間の中で、彼の想いや行動が、けしてこちらにいる自分たちを裏切るものではないだろうという確信があるということ。それでなんだろうなぁ…。

そのあたりのことは、たぶんその外側から見ている人からはわかんないんでしょうね。実は前にも似たような話をしたことがあるんですが、ことあるごとにこれを確認させられるんです。だからね、「そういう書き込み」を見ると、「こと、彼にかかわっている人には、こんな国なんだぞ。お前ら知らないだろう、というようなアピールは無用なのよ。とうに知ってるんだから…」って、言いたくなるんですよね。

次回作を待ち続けている間に、彼の会社は大きくなって、守べき人も増えました。時に、彼自身の想いだけでこれまでのように動けるだろうかと思うことはあるけれど、心のどこかでこう思ってるんですよね。びっくりするようなことをやらかすだろうな~って。それも「そうきたか~^^」って形で。それが、「私たち」の知ってる彼ですから。