『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

葉っぱの蔭から見えてくるもの

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暑い時期には動き出せなかったのか、トマトの葉っぱに、真夏にはつかなかった虫が付くようになりました。虫のついた葉っぱを取ってやると、それまでは気づかなかった傷んだ葉っぱや虫がついた葉っぱが目につくようになるんですよね。で、それを取ってやると、もっと見えてくる…。そうやって、今現在でだけど、健康な葉っぱだけを残してやることができました。

「そういうことなんだよね~」

思わずつぶやきました。

違う話から、思わぬことがひらめくことってよくありますよね。その葉っぱのことから、そろそろまたやるかなと思っていた「片付け」のことを思ったんです。

片づけをするたびに、その作業時間は短くなります。とんでもなく大変だったのは最初とその次のときくらいで、それ以降は劇的に短時間ですむようになるんですね。それは、それを覆い隠していた葉っぱ(物)が少なくなっているから…ということなんでしょうね。

大切だと思えるものを処分することはない。そういうのじゃなくて、「これは、まず使わないな~」と思えるものを処分していくと、残すものが見えてくる。いらないものも見えてくる。そうなると、そういうのをまた処分して、残したいものを(また、どちらか迷ったものも)残していく。そうすると、気分がすっきりしますよね。残したものの中から、飾れる物を飾ってみたりすると、それを見るたびに幸せな気持になれたりするというおまけつきで…。

情報もそうなのかもしれません。今騒がしいあの国やこの国のことでも、それを発信している人の(もしかしたら、その人にとって都合のいい)想いもしっかりのっかっているかも…と思うと、その葉っぱの山に隠れている大事なものはどれくらいなんだろうと思ってみたりします。

「あの子」の情報だって、本人から出たもの以外には、他の人の想いが加わるわけだから、もしかしたらあんまり信頼できないかもしれません…というか、そういうのは落としちゃったほうがいいのかもね(画像は別か…^^;)。まっすぐな「チャヌ」でも見てるほうが、はるかに心にいいのかもしれません。