『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

願い

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ニュースを見ることが、しんどいことが続いています。不愉快になり、心配にもなるようなことが…。そして、週刊誌の見出しにも、「真意とは関係なく、自分の都合のいいところだけ使って、ここぞとばかりにまだ言う?!」と思うような文字が並び、「大体おたくの社は以前からあることないこと書いていましたよね。何か、彼が日本でかわいがられると都合の悪いことがあります? おたくの社のバックはどこ?」と聞きたくなるくらい、いらっとしたりもして…ーー;。

でも、それはそれとして、実は、その問題がこれですっきり解決できればいいのにな、という想いもあるんです。公正な場で、持てる資料を駆使して、解決できたらいちばんいい。そのときに、やっと対等の立場に立てるんだと思うから。

正直に言って、「あの子」の国が知りたくて、その国のあれこれを調べてみるまでは、私の中には罪悪感のようなものがありました。先の戦○のことについて、です。○国神○のお参りなどについても、刺激するようなことは避けて欲しい…的な考え方がありました。

でも、いろいろな資料を読んでみて、言われないことで追求されているということ(たとえば、日本名を強制したことも、ハングルを奪ったこともない…というより、あちらの名前は使われていたし、識字率の低いかの国の庶民に対して日本語と同時にハングルを教えていたという事実を知ったり、慰○○の強制などもなかったこと、そして、むしろ生活環境の配慮までしていたことなどの事実)を客観的に知ってからは、その気持が変わりました。

私は嘘は嫌いです。たとえ彼の国でも。対等の立場に立って、言いたいことを言い合うのならまだしも、嘘をついてまで自分が優位にたとうとする人たちは、さらに嫌いです。

でも、その国の人をすべてそのようだと決め付けるのも、どうかと思うんですよね。「人の数だけ考え方がある。そのそれぞれが正解」。それはあれこれいう人にとってもそうだけど、事実を確かめもせずに、作為を持って力づくでものを言うのなら、「あの国の政府や、知りもしないで日本に対してあれこれ言う人たちと同じじゃないの」と思うんです。

何より、私たちは「あの子」を見てきました。何年も何年も…。そこで、彼がどう動き、何を言い、何をどう書いてきたか…。それは、彼をしっかり見てきた人たちがいちばん良く知っていること…ですよね? その想いの深さも…。

そういう人たちでないとしても、まだ理解できないのか…。今回そう思いました。もちろん全部ではないけれど、日本のマスコミは、何故彼が「家族」と呼ばれる人たちに愛されてきたのか、いまだにわかっていないんだなって…。さらに、彼と、たとえば、日本での写真に入った日の○を消したりする人や、政策としての「韓流」というものの考え方や勢力とは違うということも…(むしろ、ある意味それと戦ってきた部分さえある)。あれこれ、知ったようなことを書いてきたのに、まだわかっていない…。わかっていたら、あんな見出しは書かないでしょう。一般の人が言うのはまだわかる。でも、いまだに、「活字になったことは事実」だと思っている人がいる中で、そういう報道をすることは、固い言い方をすれば、「情報操作」になってしまう。そんな恐ろしいことも分からないのかなぁ…。いや。この際とばかりに利用したいのかな、この空気を…。そんな穿ったことを思ったりします。

もう、そんなイラッ!や心配はほっといて、楽しいことを考えましょうね。ものの本によると、いやな気持や心配がわいてきたときは、いいこと(起こって欲しいこと)を想像するほうがよっぽど事を改善するらしいですよ。できれば、「あの子」やみんなにとっていいことを。そうすれば、速くいいようにことは動く…かも。