『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

伊勢神宮ヨン百物語(そして、旅の終わりに)

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さて、長々と書いてきた「伊勢神宮ヨン百物語」も、ようやく終わりです。その前にもうちょっと思ったことを…。

これまでの記事の中でちょっと書きましたが、神宮の外宮と内宮域にある別宮には、それぞれ同じ神様が祀られています。もちろん、アマテラスさんとトヨウケさんっていう主祭神は違うんですけど、それぞれの主祭神の荒御霊だけを祀った「多賀宮」と「荒祭宮」、風の神様を祀った、「風宮」と「風日祈宮」、(一方は別宮ではないけれど)その神域の神様を祀った「土宮」と「大山祇神社」。こんな風になっています。

何で、同じ神様をそれぞれに祀るんだろう…って、不思議じゃありません? アマテラスさんとトヨウケさんはそれぞれだけど、そして、外宮内宮、それそれの神域を守る神様は違うけれど、トヨウケさんとこを、内宮のすぐそばに置けばそれですむことなのに(土地を守る神様も1柱ですむし)。これがあるから、正規にお参りしようと思えば下宮→内宮とめぐらなければならなくなる。で、この時期は暑さにまいって水際に座り込んだり、ふらふらしたりする(^^;)。

逆に、どうして外宮と内宮があるんだろうって思うと、そこに何か意味があるからなのかもしれないな~とも思えますよね。実は、多くのものを読んでみても、そのあたりのことがはっきり書かれているものって、あまりないようです。昔から、二見興玉神社(道開きの猿田彦さんとこ)で禊をして、下宮→内宮とめぐることに「なっている」ということだけ書いてあるものがほとんどなんですね(まったくないわけではないけれど、ちょっと真偽の判断が難しい)。

宇治山田駅のホームにある待合室に座り、新たに買ったポカリ○エットを飲みながら、そのことをふっと思ったんです。「もしかして、神宮は合わせ鏡になっているのかもしれない」って…。合わせ鏡って、前から見た姿だけじゃなく、その前の鏡と使い合わせることで、横や後ろから見た姿を確認する事が出来ますよね? で、それを映している御本人は、「前よ~し! うしろよ~し!」と確認できる。ということは、前を映す鏡と後ろの鏡の間は、「それなりに完成した姿を作る空間」。もしかして、その外宮と内宮の間もそういう「特別な空間」なのかもしれない。そう思いました。

お参りして、それに頼るだけでなく、がんばる自分を作る空間かも…。私はとても「何か」を感じやすいと胸を晴れるほどの「感覚」を持っているわけではないので、ここの空気は好き~とか、何か気持ちいいとかいう程度の感じを受けるだけなのだけど、そういう感覚の強い方なら、その間を移動している間もその魂に触れていると感じられるのかもしれないですね。ああ。段々その感覚が変わってきた…とか。そうそう。その間には、私でいえば、ですが、わくわくの月夜見さんは別として、何だかうまく説明できない感覚を感じた倭姫宮や月読宮もありますね…。そう思うと、「何で5キロも離れたところにあるかな~」と思った気持ちが変わってきます。何でだか知らないけど、それだけの距離が必要なんだろうって…。えっ? 最初から思ってた…? そっか…。わかってなかったのは、私だけか~~ーー;。

こうして、私の今回の伊勢の旅は終わりました。本来の目的、母を連れてきてあげられるのはいつごろになるんでしょうね。

そうだ。このタイトルの「伊勢神宮ヨン百物語」のこと。これに触れて終わりにしなければなりません。実はね、この旅の最初から最後まで、ずっと「4」に縁があったんです。乗った特急列車の車両から座席番号、ホーム、ホテルの階からルームナンバー、買い物したレシートにも全部4が(それも結構な数)あったし、喫茶店で座った席もそうだし、最後に乗った普通列車で、追いやられる形で座った座席まで、まさかと思って見上げたら、「14」。もうここにいたっては笑ってしまいました。百個以上の「ヨン」にずっと囲まれていたんですね。以前は、「不吉~」とか思った「4」がいつからか心強く感じられる…。こんなことも、おもしろかったな。

その「ヨン」と、百もの物語ではなかったけれど、神宮のお話をたくさんすることで、読んでくださった方の新たな「伊勢神宮百物語」が始まるといいな~と思う気持ちで、「伊勢神宮ヨン百物語」ってしてみました。以前行かれてる方は、前とは違う新たな巡りあいがありますように。そして、まだ行った事がないという方には…、いつかいい旅を!