伊勢神宮ヨン百物語(その幕の前に立つということ)

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参道の鳥居をくぐり、さらに進むと、何でお食事係さんが、内宮から5キロも離れたところにいるのかはともかく、伊勢市の駅から近く、深い木立の中に御正宮のほか、3つの別宮(ここの場合、トヨウケさんに関係し、特別扱いされているお社)と10の摂社(関係する小さい社)・末社(もっと小さい社)などがあるという、正式名「豊受大神宮」―通称「外宮」の御正殿は、驚くほど早く現れます。

内宮の鳥居から御正殿より、外宮ははるかに近いことは知っていましたが、長い参道を歩いていって、心を整えた辺りで、「はは~」っと思わず頭を下げたくなるような社殿が登場する…という想像をしていた私は、「あらまっ。もう御正殿なわけ~?」と感じたんです。

その御正殿は、高い高い木に囲まれた、静かな、(内宮の御正殿もそうですが)見ようによっては、ベストオブ神社の御正殿にしては、えらく地味だな~と思えるたたずまいです。でも、この感じこそが、ベストオフ神社なんだわね、とも思えました。

一人でお参りできた…どころか、神社に一人だけということもあった、ここまでのヨン社よりはるかに多いですが、真夏だからか、週初めだからか、私が訪れたこの日、外宮に参拝に訪れている人の数はそう多くはありません(「これからどっかのホールでコンサートでもありますか?」って位の人数が、境内に広がっている感じ)。私が退出したあとには5~6人の方がこられましたが、私が一礼してその鳥居を入ったときには(ええ。無事に御正殿の鳥居をくぐらせていただけました…^^v)、去っていかれるお二人と、私の前にお参りされたお一人、そして私の動きを、警備の方が見守っていらっしゃるという状態でした。

神宮について書かれているものには、神宮の御正殿では、「私事」のお願いをするものではないと書かれているものを多く見かけます。大所に立って、ここに来られたこと、そして、日ごろ見守ってくださっていることのお礼のみをいえばいいのだ、と言うんです。そして、「私もよきことに力を尽くしますとお話せよ」というのが、ついているものまでありました。

正直に言うと私は、そういう上から目線のお仕着せは苦手な、ひねくれ者なんです。でも、ベストオブ神社のお参りとはそういうもんかいなと思っていたら、出かけてくる前に、思いがけずこんな言葉に出会ったんですね。「神は形式よりも、そこを訪れる人の幸せや喜びにあふれた『気』を何よりも喜ばれる。参拝できたことを感謝し、ここを訪ねるという願いがかなってとてもうれしいと伝えれば、それでいいんだ」と言うんです。考えてみれば、同じようなことを言っているみたいなんですが、何故かそれなら出来ると素直に言える言葉でした。

そういえば、こんな言葉もありましたよ。「個人の願いなら荒御霊に。神宮では個人の願いをかなえてほしいと願うものではないという人もいるが、本当に誰かの幸せを願うことは、人からどう見えようが、その人なりに満たされた気持ちでないと出来ないものではないか。誰かの幸せを願えるだけの私になりますから、これこれこういう願いをかなえてくださいと願う事が、神意に背くものであるわけがない。もちろん、その数がひとつでないといけないわけもない」。これにも納得でした。

人の数からそう急ぐこともないと思ったので、私の前の女性が祈り終わられるのを待ってから、私もその前に立ちました。お礼の後で私が祈ったこと。もちろんその前からの方もそうですが、このブログを始めた頃から、たくさんの方に出会ってきました。今ではその消息さえわからない方もあるけれど、出会ってきたみんなが安らかであるようにと願いました。これは、私事になるんでしょうか。

そう思いながら下げた頭を上げたとき、神前に下ろされている幕が、風をはらんでふんわりとこちらに向かって広がってくるじゃないですか。願いが届いたときは、あちらに広がって中を見せてくださるという話は読みましたが、真逆じゃないの。何にも見えないし…ーー;。でも、その幕のゆったりとした動きを見て、何故か微笑めました。

再び1礼。後ろを向きざまに、ふと目をやった社殿(宿衛社というんでしょうか)に、私の中の陰陽師の姿そのものの神官さんが。その方に向かって会釈をして鳥居をくぐり、もう一度その前で、「お邪魔しました」と頭を下げます。そのとき、その拝殿のお姿が今度は半分見えたんです。つまり向こうに風が…。さっきはこっちに風か吹いてたのに…。からかわれていたんでしょうか……ーー;。








写真はもちろん、鳥居より前で、です。中では撮れません。「失礼します。ここでお姿を撮らせていただきま~す」と一言ご挨拶しときました…^^。