『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

百夜通い

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ここ数日、37℃前後まで上がる日がつづいています。汗だらだらであれこれ動き、アイスコーヒーをぐびっ(?)とやりながら、近く出かけないといけない時間に思いをはせていました。「こんなくそ暑い中を歩き回ることになるのか~ーー;。もう少し涼しくなればいいのにな。延ばせるものなら、もちょっと延ばしたい」などと弱音を吐きつつ、思ったのは「深草少将(ふかくさのしょうしょう)の百夜(ももよ)通い」のお話でした。

平安時代、絶世の美女として有名な、かの小野小町に一目ぼれした深草少将(確か、京都の深草というところに住んでいたのでそう呼ばれていたのだったと思います)が、彼女にラブコールを送ったそうなんです。

超美人さんだった彼女のこと、言い寄る男性も多かったのでしょう。相手を試すつもりだったか、どうせたいした覚悟もなく言い寄ってきたのだろうから、そう言えば途中であきらめるだろうと思ってのことだったのかは分かりませんが、「100晩通ってきてくれたら、付き合ってあげてもいいわよ」と応えるのです。

深草少将、その言葉に燃えました。ええ。燃えましたとも。秋から冬にかけての時期でしたが、毎夜毎夜、雨の日も風の日も、雪の日も通ったんです。それを証明する手段として、カヤの実を一粒置いて帰ってきたらしいんですけどね。

そして、その約束の100夜目。体調が悪かったのかもしれません。大雪の中を小町のもとに出かけた少将は、その手にカヤの実をひとつ握りしめたまま倒れ、亡くなってしまった…。そういうお話です。どこかで聞いたことがありませんか?

いとしい人が、自分の想いを受け入れてくれる。そんなご褒美があるのなら、暑かろうが、寒かろうが、でかけて行くんですけど、そういうのとはま~ったく関係ないんですよね…^^;。なんて言ってはみるものの、100晩続けるのは大変ですよね。荒れる天候はもとより、疲れていたり、少将の最後の日のように体調が悪かったりして、足を前に運ぶことさえつらい夜もあるかもしれません。それでも、彼女が出てくるでもないのに、行って帰ってを続けるのですから…。今よりずっとたくさんの時間をかけて…。

まっ、伝説ですから、大げさに言ってるかもしれないし、実は小野小町と深草少将の話ではなく、何やら少将さんという人と別の人との間に同じ様な出来事があったのを、有名人だった小野小町に置き換えた…という話もあるのですが、たとえ期間はそれより短くても、そして、たとえ違う人でも、そういうことを続けたらしい何やら少将さんすごいです。

思うんですけどね。あの時代ですから、いくらでも色んな人の元に通えたのに、その人の所だけにこだわり続けた。鉄の意志の人ですよね。もしかしたら、あんまりハンサムではなかったかもしれないけど、小町さん惜しいことをしたかも。でも、それも縁なのかな~。

伝説では、小町さんは、深草少将がずっと通ってきてくれた道のりの所々に、彼が持ってきたカヤの実を撒いていったといいます。そして、成長したカヤの木の2本は、今では1000年の時を越えた大木となり、随心院の傍にあるのだとか。小町さんは、この髄心院にある梅園の近くの庵で最期のときを迎えたそうですが、成長していく木を眺めながら、彼女は何を思ったのでしょうね。

ところで、今はたと気がついたんだけど、どうして私は自分が通う方になってるのでしょう。百夜通って来いとは、どう考えても言えるほどの自信がないからだな、多分…。それでも、あの子に「百夜通ってくれたら、すぐ撮影するよ~」と言われたら、柿ピーの小袋でも握って出かけましょうかね。いや。カリカリ梅一個? どっちがいいんだろう…(おいおい…^^;)。