知識で見ず、感性で見る

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 鳥取で開催中の、『柳宗悦展-暮らしへの眼差し-』に行ってきました。

御存知の方は多いと思いますが、来客が手土産に持ってきた朝鮮半島からの陶磁器に衝撃を受けたことから、暮らしの中で使われる無名の作家たちの作品の再評価や新たな展開を模索する運動=民芸運動をはじめるようになられた柳宗悦(やなぎむねよし。1889-1961)さんのコレクション(御自分の作られたものを含めて)、そして、多彩な交友関係から完成されたあれこれを見てきました。実は、山陰は、島根県出身の陶芸家・河井寛次郎をはじめとして、彼ゆかりの人や物がたくさんある土地柄でもあるんです。

 さすがに写真は撮れなかったけど、展示室の最初でであった、かなりお年を召されてからの、その表情が好きでした(↑ではありません)。しばらく離れがたかったほど…。なんとなく、この方の集められたものなら、きっと好きだ…と思ったりしました。案の定、好きな物がたくさんありましたよ。お抹茶碗など、本気でほしいと思ったのがいくつか…^^;。

 思想家であり、宗教家であり、世界の、そして、日本の民芸作品の収集家でもあり、作家の後押しなどにも力を注いできた方が、「ひとつ心」で集められたものだからでしょうか。とても俊敏な感性を持った方だったそうですが、展示された陶磁器、木工品、織物などのある空間(志賀直哉さんからの、お金の無心のはがきなどもありましたよ)からは、とても暖かなものが感じられました。それはそのものたちから受ける感じなのかな~と思ったのですが、自分の中からもわくわくするような暖かな想いがあふれ出しているのを感じて、ちょっと面白くもあり、幸せな時間でした。

その中に、はっとさせられた言葉が―。

『知識で見ず、感性で見る』

今の時代、得ようとしなくてもいろんな知識を得てしまいます。その分、「そういう目」で見てしまう。例えば、ひとつの作品でも、「この作者はこういう賞をもらっている」とか、「この人はこういう経歴の人で…」とかいうことを考えると、純粋に作品に親しむには邪魔になる。たとえば、それがどういうところのどういうものだろうが、それを見てどう感じるかが大事だ。

おっしゃっているのは、そういうことなんだと思います。どんなに立派な包み紙に覆われていても、素敵と感じられないものはあるわけだし、それをありがたがることも、振り回されることもない…と言うことでもあるのかもしれません。簡単に言えば、頭で考えるな、感じろ!ってこと? ちょっと、どきっとする言葉でした。

そういえば、「あの子」もそんな風に捕まえたんでしたよね? 違いますか? 

先入観にとらわれないからこそ見つけられた。確かにそんな人や物があります。そして、その目で見て心が感じたものは、ずっと大事にできる宝物になるのかもしれません。