『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

おかげ犬

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 初詣には行かれましたか?

 天候の具合と、多少風邪気味なのとを言い訳にして(そういえば、クリスマス前からびわの実がきれてます)、私はまだ行ってないんですよね。このところの数年は別として、例年は三が日のうちに、地元の神社はもとより、出雲大社にも行くんですけど…。特に、昨年11月の神在月に行ってしまったせいか、出雲に行こうという気にならないんです。でも、お礼参りができるようなら、すぐに行かなくてはね…^^

 ところで、伊勢神宮に関係するものを読んでいたら、面白いものを見つけました。ご存知の方もあるかもしれないけれど、首に注連飾りをしたその犬の絵には、「おかげ犬」というタイトルがつけられていました。

 最初にそれを見たときには、以前どこかのお寺だか神社だかで、道案内をする猫がいるとか聞いたことがあったのを思い出して、それぞれの拝殿を案内して回る犬なのかと思ったのですが、違っていたんです。江戸時代、病気などの理由で急にお伊勢参り行けなくなったご主人の代わりに代参したわんこらしいんですよ。

 江戸時代、いえ、それ以前からそうだったのでしょうが、伊勢参りは一生に一度できるかできないかのことだったそうです。今のように、飛行機や列車、バスや車などという交通手段はないわけですから、当然歩いていかなければならない。江戸と伊勢、片道15日くらいといわれる、往復にかかる日数や費用は大変なものですよね。だから、何人かで「講」を作ってお金を積み立て、その中の誰かが代表者となって(それぞれ交代で)伊勢に出かける…という形をとることが多かったそうです。そうしてでも行きたいところだったんですね。

 それどころか、店の奉公人が黙って伊勢参りの人の行列にくっついていってしまったとしても、「お伊勢さんに行ってきました」と店の主人に言えば、それでその行動が許された…というんですから(そのあたりが、伊勢に行くことをおかげ参り…といったというのの語源だという話も…)、伊勢神宮に行くというのは特別なことだったということですよね。

 ところが、そんな特別な伊勢参りにようやく行けるはずだったのに、急に体調を崩して行けなくなったりする人も当然出てきます。そんなとき、「これこれこういう事情で行けなくなったので、私の代わりにこの犬をやります。どうぞよしなに~」と書いた手紙と必要なお金を入れた包みを飼い犬の首にぶら下げてやって、伊勢に行かせた人があったというんです。

 「犬が飼い主もいなくて伊勢に着くの?」って思うでしょ? で、「ちゃんと帰ってくるの? 帰ってきても、お金なんか取られちゃって、早々に逃げ帰ってくるんじゃないの~?」とか思うでしょ? ところが、違うんですって。

 伊勢参りという重大任務をまかされたわんこは、お参りにいく人達や、それぞれのところで大事にされて、神宮まで導かれて詣で、最後はお札と残りのお金を首にぶら下げて、大抵は無事に帰ってきたそうなんです。すごいとき(?)には、「どこかでご飯もいただかなければならないわけだから」と、行き帰りの路銀として持たせたお金もほとんどそのままで持って帰ってくる場合もあったとか…。それほどにお伊勢参りする人は大事にされたんですね(わんこもね…)。

 それにしても、です。誘導されたとしても、行く先々でちゃんと言うことを聞いてきたわんこも、やっぱり賢かったですよね。だからこそ、絵にされて残っているのでしょう。最近では、その犬を模したこんなおみやげ(ストラップ)↑もあるようですよ。

 今なら、そんなことができるでしょうか。たとえできても、わんこのいない我が家では、そうもいきませんね…^^;。