『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

いざ!神在祭に(その2~まず神々の入り口に立つ~)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 気分を切り替え、タクシー乗り場に。「稲佐の浜へ寄ってから、出雲大社に行ってください」とお願いします。運転手さん、えらく無愛想で無言のままでしたが、「あの騒ぎ」でかなり気力を消耗していた私には、それはありがたいことでした。

これから向かう「稲佐の浜」は、旧暦の10月10日の夕刻に、龍蛇神に乗ってやってきた八百万の神々が上陸されるという場所です。この時期その浜では、海蛇が打ち上げられることが多いとかで、それがその「伝説」に結びついているのではと書かれたものもありました。

 さて、いくらかは見慣れた市街地から、見覚えのない海沿いの通りに抜けて少し走り、「はい。ここです」と車が止められた場所を見て、私は思わず、「ここですか?!」。「はい。ここが稲佐の浜ですよ」。

 ガードレールのところから砂浜に降りるようになっているその浜は、横の広がりはあるのですが、その浜の象徴というべき「弁天島」まで、大またで歩けば50~60歩もあればいけるだろうという奥行きの狭い砂浜でした。八百万の神々を向かえるセレモニーである神迎えの神事が行われる場所だということ、そして、ネットで写真を見た限りではもっと奥行きのある場所に見えたので、その狭さ…というより、近さにびっくりしたんです。

少し待ってもらいたいと話すと、「どうぞどうぞ。メーターは切っておきますから、ゆっくり見てきてください」と運転手さん。えらく機嫌が良くなっています。実は、この近くの生まれだそうで、「子供の頃は、浜はその弁天島まで続いてなくて、風の強い日には、道の方までしぶきの上がる浜辺だった」とか…、語る語る…。「ああ。そうなんですか。へ~」と、何度応えたことでしょう。無愛想な人…ではなかったんですね…^^;。

ひとしきり話し終わった運転手さんを残し、私は砂浜に下りました。鳥居のある弁天島に向かってまっすぐに歩きます。よくよく見れば、ごつごつの岩ばかりの島です。運転手さんによると、ここに上るにはちょっとしたロッククライミング状態になるので、鳥居の注連縄ひとつ換えるにも、神官さんたちは大変な思いをされるんだそうです。

この弁天島に祭られているのは、元々はその名前どおり「弁天様」だったそうなのですが、今はなぜか海神の娘である「豊玉昆売命(とよたまひめのみこと)」が祭られているといいます。この神様、「海の安全」、そして、「安産」と「縁結び」の分野を担当する神様なんですって。安産、縁結びはともかくとして、神々が上陸されるところに海の安全を司る神様がいらっしゃるというのは、芸事担当の弁天様よりはふさわしい気もします。

ところで、この浜。ほんとうに気持のいいところでした。海ってだいたい開放感があって気持のいいものですよね。でも、ここのそれはちょっと違う気がしたんです。水辺を見ることの多い私は、もっと開放感のある、気持のいい場所をたくさん知っています。そのせいか、そういう意味では、「ちょっとだけ残念」なロケーションだと思えたんですよね。おかしな言い方ですが、妙な、ざわざわ感ともわくわく感ともつかないものがある気持ちよさ(追記。もっとわかりやすい、「高揚感」という立派な言葉がありましたね…^^;)。それが歩いていくたびに強くなるんです。偶然かもしれないけれど、そんな面白い印象を受けました。

この辺がいいかと弁天島の近くに立ち、その姿を眺め、カメラに収めます。この浜に上陸されるなら、この辺からかしら…と、海の風景も…。もっと開放感のある海辺がある…などといいながらも、波打ち際まで来るとやっぱり気持はほぐれます。

さて、その風景をしばらく眺め、わたしはおもむろにバッグを開きました。中からビニール袋を取り出してしゃがみこみ、甲子園で負けた高校球児のように砂をかき集めます。これは、来る前から決めていたことでした。実は、今回の旅のひとつの目的でもあったんです。

袋の口をしっかり結んで、バッグに収め、振り向くと、いつの間にか若い男性達が5~6人、弁天島に向けてカメラを向けています。おそらく、彼らもこれから出雲大社に行くんだろうな、などと思いながらタクシーのところに戻りました。

「神迎えの神事は、どのあたりでされるんですか?」

車に乗り込みながら聞きました。運転手さん、ちょっと笑われました。「今、立っておられた所ですが…」。「わたしが立っていた、あそこ、ですか?!」。「ああ…。知らずに立たれましたか…」(運転手さん、ちょっとキョトン)。

たいまつなどが焚かれたような形跡は無く、打ち寄せられたわらごみみたいなのが少しだけあるのが目に入ってはいましたが、特に気にしてはいませんでした。そこで神事が行われたということは、あのごみは打ち寄せられたものではなく、神事の跡のものだったのかもしれませんね。

「ところで、砂は取ってこられましたかいな」

一旦車を走らせかけた運転手さん、ブレーキを踏んで聞かれます。

「はい。取ってきました」

運転手さん、「それならけっこう」と一言。そして、それについてはそれ以上どちらも語らず、車は出雲大社へと走り出したのでした。



[追記〕
この稲佐の浜は、古事記の「国譲り」の現場とされている所でもあります。





(いちばん左の画像は、駅に張り出してあった神在祭のポスターの一部)