『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

適材適所

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どなたかが「日本の美をたどる旅」をされたのに影響されて、京都のお抹茶いただいてます…って、実はいつものことなんですが、それで思わぬことに気がつきました。

今回いただいたのは、お彼岸の来客に合わせて買ったもの。いつもネットで注文するのですが、それでは間に合わず、ご近所で別のを買ったんですね。

それがね、お客様に出したあと、自分で飲んでみたら、「何だこれ…ーー;」。お茶ごとの個性はあるにしても、あまりに苦くてまずい。オマケに粉が荒くてざらっとする感じだし…。こんなことは初めてでした。

ところが、私以外は、「そう? 確かにお茶は違うけど、おいしいよ」と言うんですね。まっ、人にお茶を立ててもらって、まずいとはっきり言える人はそうはいないだろうと思い、お彼岸に使ったっきり分別して冷凍していた残りを、そのまま冷凍庫にほったらかしていたんですね。それを突然いただく気になったんです。

話は少し変わりますが、かなり前に茶道教室に通っていた時期がありました。高校時代、クラスメートに頼まれてお茶席の券を買い、出向いた席でいろんなことに戸惑った挙句、お菓子を切ろうとした弾みに、同席していた先生の膝元にそのお菓子をかっ飛ばし、爆笑を買ってしまったんです。芸人さんならいざ知らず、それもそんなところで「やってしまった」私は、しばらく落ち込み、やがて茶道教室に通い始めたのでした。

かなり通ったある日、その茶道教室で、お弟子が私一人の時間がありました。暇な分、先生は普段されないような世間話もされていたんでけど、その途中で私の立てたお茶を口に運びながら、ふと言われたんです。「あなたの立てるお茶は、いつも丸くて優しいわねぇ」って。

先生が言われるには、みんなに同じように教えているはずだのに、次第にその人その人の味の個性が出てくる。そういうものなんだそうです。誰が立てたと言われなくても、弟子の立てたお茶なら大抵わかると思う。実は、その日どうも嫌なことがあったようだ、とかいうのも、その味でわかったりするのだと笑われました。

そのときに言っていただいた、「まるくでやさしい」という言葉は、私の人生の中での数少ない、いえ。唯一自慢のほめ言葉になったのですが、その私が、あまりにもまずいお茶をたててしまったのですから、すっかり茶のせいにしてふてくされ、実はしばらくお茶を立てることもしていなかったんです。

茶漉し(こし)でお茶を濾し、棗(なつめ)に移し、いつもどおりに立てたそのお茶を一口含んで、@@;。味が違ったんです。ええ。まったく違うものでした。おいしかったんですよ、好みどんぴしゃではないけれど、それなりに…。

冷凍してあったからかとか色々考えて、気がつきました。器です。実は、お彼岸に私は、友達にもらったカフェオレボールを使っていたんです。急に集まった来客に茶碗を使い果たし、自分のを畑違いの器で立ててたんですよね(そういうのも、ちょっとおもしろいでしょ?)。ところが、それが原因だったんです。飲み比べてみるとぜんぜん違うんですから、びっくりです…。

素材の違いなのか、釉薬の違いなのか、焼きの違いなのか、その辺りはまったくわからないけれど、とにかく友達からもらったカフェオレボールは、お抹茶には使えないということはわかりました。やっぱり、もちは餅屋で、適材適所でないとだめなんですね。こういうことを知らなかったのって、もしかして私だけ?