『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

8月29日

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ちょっと堅い話です。さらに、わかる人にだけわかる話なので恐縮ですが…(亡くなられた芸能レポーターさんみたい?)。このところ、腑に落ちないことや、報道されない思いがけないデモが起こったりして、色々考えることがありました。

ただ、それが報道されなかった理由は、その出来事を隠そうとした…というだけではないだろう…というのも、落ち着いてみるとわかります。それを伝えることが、間違ったとんでもない騒ぎに変容することもありえるからです(かつての歴史には、そういうことがたくさんありますよね)。

人の考え方は、人の数だけある。あったことをあったようにだけ理解してくれればいいけれど、話を聞いた側が、故意にではなくても、自分の引き出しを開けて都合のいいように解釈を加えて伝えてしまう可能性だってある。これがいちばん恐いことです。それは、「知らない人」を信じさせ、思うように操作することだってできるからです。もしかしたら、まっ逆さまかもしれないのに…。

それが、まったく報道されなかったのが良かったのか悪かったのかは今の私にはまだわからないけれど、これから聞く、どんな話も記事も論説も、それを書いた人がどういう背景を持った人なのか…ということをまず知らなければ、不用意に信じることはできないと、今度の震災の頃からさらに思うようになっています。相手が見えない、このネットの世界では特にね…。

報道が真実を伝えていない場合があるということ。それを最初に気づかせてくれたのは、ほかならぬかの国の人でした。彼が日本のメディアに登場したとき、愛する人たちに熱を持って認識されたとき、メディア側はどう扱ったか…。たとえそう興味を持っていなかった人でも、それは覚えていらっしゃることでしょう。それほどに、扱いは大きく、あざといほどにある意味操作されたものでした(だからこそ、最近色々あれっ?と思うことが多かったんです。えらい違いじゃないの?って…。そこには、何かの思惑が働いていると気づくのは簡単なことでした)。

もちろん彼を愛する人たちは、伝えられることを一々心配し、心を痛めながらも、それが間違っていることを、ほかならぬ、そのネットで伝えられる「事実」によって知ることになりました。そして、もちろんその人その人で個人差はあるけれど、深くその人を知っていくことになったんです。なぜなら、その顔の見えないネットでしか、ある意味起こっていること、信じられることがわからなかったからです。なぜ、そう信じられたか。心を同じくできる、誠実で暖かな人たちと出会えたことや、信じるにたる事実があったから…ですかね…。

誰かが何かを言ったではなく、彼自身が何を言い、どう動いたか…。それを見ることで、彼の考えがわかりました。それこそが一番大事で信じられることなんだと教えてくれたのも彼でした。あまりに理不尽なことは、あちらでもこちらでもたくさんあったけれど、それをまっすぐに受けて立っている彼の姿が信じられたんです。

いつからか、彼を良く思っていなかった一部の人からさえも、信じられるのは彼だけと言われるようになりましたよね。これまで、つらかったと思うな…。いや。これからもつらいかもしれないけど、一人じゃないからね…。心ある人はたくさんいるよ。

誰が何と言おうと、どこの国のものでも、どんな人でも、好きなものは好きです。それでいいと思う。でも、誰かに操作されたくはない。本当に自分の目で、自分の心で感じたい。それだけを思います。

願わくば、嵐に惑うことなく、あなたが願うことが穏やかに進んでいくことを願いながら、お誕生日おめでとうございます!


…って、な~にを力んでんだか…ーー;。