『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

アテナツアーに行ってきました!(その7) 花見潟墓地

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食事を終えて、そこからそう遠くはない花見潟墓地へ。

バスを降りると、その駐車場にあるアテナの撮影地の看板の前で、みなさん早速ガイド君と記念撮影会です。墓地のほうに降りてみようなんて人はあまりありませんでした。私達以外に、墓地へのそう広くはない坂道を下ったのは、お店で私のそばにいらした方たちだけ。あとで降りてきた方もありましたが、さっと見て引き返されました。

そりゃそうですよね。撮影地でもなければ、縁のない人のお墓なんて、ふつうなら興味があるわけがありません。友だちと私だって(たぶん、一緒に坂道を下られた方たちも)、食事をしながらの会話がなければ、そのお墓群にそう興味をもつこともなかったと思います。おおきな墓地だな~ってくらいでね。

坂を降りて見たそこは、当然ながら見事なばかりにお墓ざんまいでした。ほんとに目の前が海。潮風も浴びるし、あたりが静まる時間になれば、波の音も聞こえるはずの場所です。海の向こうから流れ着き、なくなった方が眠られる場所としては、確かにこれ以上の場所はないかもしれないですね。

帰ってから見た資料によると、海辺にある墓地としては西日本随一。それも自然発生的にできたものとしては類が無いんだそうです、その墓石の灯籠に火が入るお盆は、それは見事な「幽玄の世界」が見られるそうですよ。薄暗くなってからだとそうでしょうね。2万基ですもん…。

一度それを見てみたい気がしますが、残念なことに、お盆は忙しいんですよね。何より、我家のお墓の灯籠に火を入れに行かなければ行けません。よそのを見て歩いてるどころじゃないですよね(このあたりでは、お盆の間毎日お墓に行って、灯籠に火を入れるんです。変でしょ? ご先祖様は家に帰っているはずなのに…)。

海を見ていたら、しょっちゅう問題になる「あの島」のことが頭をよぎりました。いえ。昔あの島の周辺で魚を獲っていたという漁師さんの言葉を思い出したんです。

「あの島の周りは、ほんとうに静かな場所だった。日本の漁師も海の向こうの漁師も、入り混じって魚を獲ったものだ。どこの国のものだなどと、言い合いをする者など誰もいなかった。何度も会うものだから、見知った顔があれば会釈し、来ていなければ、どこか悪いんだろうかと思ったりもする。そんな風だった。自分の獲りたいだけの魚を獲ったら、また会釈してそれぞれに帰っていく。そんな場所だった。その平和な海を、あの島をただの領土だとしか思わす、愛着がないどころか、そこで生活するわけでもない、あっちやこっちのバカどもが壊してしまった…」

実際に海を介して向かい合う人たちは、そんな風だったんですね。