到着したお店は、玄関先から見ると小さな店に見えました。実際に入ってみると、いす席の後方にいくつかの個室があり、そのそれぞれは、10数人の集団が一部屋になんなくおさまる広さの部屋で、俗に言ううなぎの寝床のようなつくりの店でした。
ここで出された牛骨ラーメンは、最近ご当地ラーメンとして話題になっているものなんですが、アテナツアーということで、それに白菜と大根のキムチがついていました(どちらもおいしかったですよ^^)。
牛骨ラーメンを食べてびっくり。それは、香ばしさと甘みとこくのある、幼い頃になじんだ、なつかしい味だったからです。その瞬間、ラーメン好きだった父が生前、「前のような香ばしさとこくのある味のラーメンを出す店がなくなってしまった」と嘆いていたのを思い出しました。そして同時に、父はこれのことを言っていたんだと気がつきました。ラーメンのバリエーションや選択肢が増えた今になって、(このあたりの人にとっては)昔ながらのこのラーメンがあちこちで出されるようになっているというのは、おもしろいですね。あと2~3年長く生きていれば、父も食べることができていたかも、なんて思います。
そのラーメンをいただきながら、同席した方達と話をしていると、みなさんにラーメンがいきわたるのを確かめたガイドさんが、自分のラーメン鉢を片手に、あいていた向かいの席にすわってきました。「もう食べなくていいですか?」と、間に置かれた共用の器に盛られたキムチを差し出してくれたのですが、「充分食べました」と応えると、ガイドさん、「好きなんですよね~」と、うれしそうにほお張ります。
そして、ガイドさんと目の前の私達とで、かの国のドラマや風俗習慣の話になり、さらには埋葬の話に(冬ソナでの、ユジンがお父さんのお墓を訪れるシーンの話も出ましたよ。あちらは墓石ではなく、盛り土というか小山のようなのがお墓だったんですね…というような話ですが)。
土葬がメインだったあちらでも、最近では散骨や、メモリアルタワーとも言える塔を建てて、そこにたくさんの方のご遺骨を納めるやり方もされ始めているという話も聞きました。そして、「このあと行く、ドラマに使われた花見潟墓地なんですけどね…」とガイドさん。「実は、あそこに最初に埋葬されたのは、あちらの人なんですよ」
ここは、海を越えればかの国という立地から、海難事故にあって命からがら助かった人や、ご遺体が流れ着くことがよくあった土地柄です。江戸時代、助かった人を手厚く手当し、一度ならずも長崎まで送ったという話は、以前聞いたことがあったのですが(国の出入りの窓口ですものね)、それ以前、はるか昔に、この辺りの人たちは愛情深い態度を示していたそうなんです。
どこのだれだかわからないご遺体。故郷どころか、自分の国にさえ帰れない人のために、せめて海が見えるところに埋葬してあげようとその場所に埋めたのが、花見潟墓地の始まりだったというんです。海沿いにお墓をというのはほとんど無かった時代のことです。いつからか、それに寄り添うように自然発生的にお墓が増えていき、今では2万基を超える墓石が立っているそうです。
「ただでさえ、こういう墓地というのがない上に、あれだけの規模ですからね。あっちの人の目にはとても珍しい風景に映ったみたいで、ここを使いたいということだったようですよ」
なんでお墓でドンパチなんだと思っていたその場所の、思いがけない話でした。彼らはこの話を知っていたのでしょうか。